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父が娘に語る経済の話〔2〕世界はカネで回っている?【ヤニス・バルファキス】



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◆おカネは目標を叶えることを
助けてくれる大切なツールかも知れない。

でも今と違って、
昔はおカネ自体が目的にはなっていなかった。

だが今は、カネさえ積めば買えないものはない。

交換価値が経験価値を打ち負かし、
「市場のある社会」が「市場社会」に変わったことで、
何かが起きた。

おカネが手段から目的になったのだ。

なぜか?

人間が、利益を追求するようになったからだ。

実は、昔はそうではなかった。

たしかに誰にでも欲はある。

権力やカネや芸術作品や友達や土地を欲しいという
欲望には抗いがたいものがある。

だが、そんな欲望と利益の追求はまったく別のもので、
昔から利益の追求が歴史を動かしてきたわけではない。

利益の追求が歴史を動かすようになったのは、
最近のことだ。

利益の追求が人間を動かす大きな動機になったのは、
借金に新たな役割ができたことと深いつながりがある。

◆すべての富が借金から生まれる世界

貸し借りは大昔から存在した。

困っている隣人を助けたら、
相手はありがたがってこう言うだろう。

「ひとつ借りができた」と、
契約書など交わさなくても、
誰かを助ければ、
相手は自分が困ったときに助けてくれる。

そうやって人は借りを返すものだ。

しかし、こうした助け合いは、
借金とはふたつの点で違っている。

ひとつは契約で、
もうひとつは利子だ。

契約とは、
「今日私を助けてくれたら、
明日はあなたを助けてあげる」といったゆるい合意を、
具体的な条件のある法的な義務にしたものだ。

具体的な条件には交換価値があり、
常にではないが、多くの場合、
金銭で表される。

ローン契約では、
ローンの借りて(債務者)が
ローンの貸し手(債権者)に、
ローン元本に何かを加えて返済する。

その何かは、普通は金銭だ。

ローンを貸し付けることによって
得られるこの特定の利益が、
利子と呼ばれるものだ。

ここに違いがある。

人助けの場合には、
正しいことをしたという満足感が経験価値になる。

人を助けると自分の心が温かくなる。

しかし、ローン契約の場合、
見返りに何か交換価値のあるものを
余分に受け取れることが
貸し手の行動の動機になる。

それが利子の受け取りだ。

◆生産とカネの流れが逆転した

余剰は経済が存在するための前提条件だ。

そしてそれは、
封建時代には次のような流れで機能していた。

生産▶分配▶債務と通貨と国家が生まれた。

はじめに、農奴が土地を耕し、
作物をつくった(生産)。

そこから領主が
無理やり年貢を納させた(分配)。

領主は自分が必要とする以外の
余った作物を売ってカネを稼ぎ、
そのカネでものを買ったり、
支払いをしたり、
カネを貸したりした(債権・債務)。

しかし、土地と労働が商品になると、
「大転換」が起きた。

生産後に余剰を分配するのではなく、
生産前に分配がはじまったのだ。

どういうことか。

イギリスで農奴が土地を追われ、
羊に置き換えられたことを思い出してほしい。

農奴はその後、
領主から土地を借り、
羊毛や作物の生産を管理し、
それらを売っておカネにし、
領主に土地の賃料を払い、
働き手たちに賃金を払うようになった。

言い換えると、
こうした元農奴たちは
小規模な事業を経営する
起業家のようになった。

しかし、
事業を起こすには先立つ資金が必要だ。

賃金を支払い、
作物の種を買い、
領主に地代を払わなければならない。

作物ができる前に
そのおカネが必要になる。

起業家になった農奴たちには
おカネがなかったので、
借りるしかなかった。

誰がカネを貸したのだろう?

領主の場合もあれば、
地元の高利貸しの場合もあった。

彼らは利子を求めたが、
いずれにしろ、まずは借金が必要だった。

賃金も地代も原料や道具の値段も、
生産をはじめる前からわかっている。

将来の収入をそれらにどう配分するかは、
あらかじめ決まっているわけだ。

事前にわからないのは、
起業家自身の取り分だけだ。

ここで、
分配が生産に先立つようになった。

かくして、大転換が起きた。

借金が生産プロセスに欠かせない
潤滑油になったのだ。

利益自体が目的になったのも、
このときだった。

利益が出なければ、
新しい起業家たちは
生き延びることができないからだ。

◆競争に勝つには借金するしかない

封建地代は、
農奴の働きを監督する人はいなかった。

農奴は領主に作物を納めたあとに
余ったものを手元に置いておくだけだ。

賃金という概念がまだ存在せず、
利益追求は生き残りに必須ではなく、
大半の人は借金に悩むことはなかった。

その結果、
領主の壮大な邸宅や城の中には
富が蓄積された。

しかし、
利益追求を目的とした企業ができると、
新しい富の源泉が生まれた。

お風呂にお湯が流れ込む場面を
想像してほしい。

お湯が企業に入ってくるおカネだ。

さらに、お風呂の栓がきちんと
閉まっていないとしよう。

排水口に吸い込まれていくお湯が、
事業を継続させるために使っているおカネだ。

蛇口から流れてくるお湯が、
排水口に吸い込まれる量より多ければ、
お風呂にお湯が溜まっていく。

入ってくるお湯の量が
出ていくお湯より多ければ多いほど、
利益は多くなる。

お風呂に溜まるお湯の量が
多ければ多いほど、
富が蓄積されていく。

誰でも起業家にはなれた。

借金を背負う覚悟と能力があれば。

そして、起業家になったとたん、
リソースと顧客と生き残りをかけて、
誰もが必死に争いはじめた。

最も低い価格を掲示できた者が、
最も多くの顧客を獲得できる。

最も安い賃金で労働者を雇えた者が、
最も多くの利益を手に入れることができる。

最も生産性を上げた者が、
どちらの競争にも同時に勝てる。

新しいテクノロジーが競争優位の源泉となり、
起業家にはそれを追求する強い動機があった。

こうして、蒸気機関が使われ、
作業場は工場に姿を変えた。

もちろん、テクノロジーは高くついた。

さらに借金を重ねなければ、
技術は手に入らなかった。

借金を増やせば
利益が増える可能性はあるものの、
うまくいかなければ破滅が待っている。

起業家の借金と利益と焦りが高まるにつれ、
競争はますます過酷になっていった。

倒産の憂き目に遭わないためには、
労働者をできるだけ安く雇わなければならない。

莫大な富が生まれるのと同時に、
借金が増え、
貧困はますます深刻になっていった。

金持ちがさらに金持ちになる一方で、
多くの起業家は倒産の危機にさらされ、
膨大な数の労働者が過酷な条件で働かされた。

産業革命の原動力が石炭ではなく、
借金だったのだ。

こうして、
一握りの人たちが富を蓄積し
それ以外の人たちは
耐え難いほど悲惨な生活を
強いられるようになっていった。

市場社会では、
すべての富が借金によって生まれる。

過去3世紀のあいだに
ありえないほど金持ちになった人たちはみな、
借金のおかげでそうなった。

市場社会にとっての借金は、
キリスト教にとっての地獄と同じだ。

近寄りたくはないけれど、
欠かせないものなのだ。