欠乏の行動経済学:いつも「時間がない」あなたに ◆失われた20年が続くと人々は なんらかの欠乏状態になる。 欠乏は「集中ボーナス」と呼ばれる利点がある一方、 「トンネリング」と呼ばれる負の面もある。 結論を先に言ってしまえば、 「欠乏」による影響を抑えるには 「スラック」が必要になる。 今の日本人にもっとも必要なのは「ゆとり」である。 ◆貧困問題を解決するために、 ただやみくもにお金を出せばいいというわけではない。 貧しい人がその貧しさから なかなか抜け出せないのを、 本人の向上心の欠如で片づけてはいけない。 処理能力低下による 一見愚かな行動やミスを前提に考えて、 それを吸収したり、 場合によっては逆手に取ったりする 戦略や制度が必要なのだ。 ◆自分にとって必要なものが足りないと感じると、 人の心に何が起こるのか? まずはその不足をどうにかしようと集中する。 締め切りが間近に迫って ほんとうに「時間がない」と感じると、 余計なことを考えずに仕事に集中するものだ。 しかし集中するということは、 ほかのことをシャットアウトするということである。 これを「トンネリング」と呼ぶ。 トンネルに入ると視野が狭くなって 周囲の景色が見えなくなるのと同じように、 集中してやっていること以外には気が回らなくなる。 そういうとき私たちの頭脳の処理能力は 「時間がない」ことへの対処に食われて、 ほかのことに使える分が少なくなってしまう。 それは無意識のレベルにまで影響する。 だから自分では時間に追われていることとは 無関係の失敗と思っていることも、 じつはそのせいで起こっているかもしれない。 そして足りないのがお金の場合も同じことが起こる。 家計のやりくりに苦労していると、 仕事でミスしたり 子どもに八つ当たりしたりしがちになる。 原因はたんなるストレスではなく、 欠乏によって認知能力や実行制御力という 頭脳の力が低下するからなのだ。 そして欠乏は欠乏を生む。 お金がないから借金をすると、 利子の支払いでさらに家計が苦しくなる。 目先の利益のために将来の備えを怠る。 そして突発的にお金が必要なことが発生すると、 また借金を重ねることになる。 貧しい人は思慮が浅いからそうなるのだと思う人は、 お金を時間に置き換えてみると、 自分にも経験のあることになるかもしれない。 時間がないからと仕事の一部を先送りしても、 いつかはそれをやらなくてはならない。 あとでやるとかえって時間がたくさんかかる。 そしてやるべき仕事がどんどん押せ押せになっていく。 そうやって人は欠乏の罠にはまって抜け出せなくなる。 このようなメカニズムの根本には処理能力の低下、 さらには「スラック」の欠如がある。 これはゆるみやたるみを意味する言葉で、 一見無駄に思われる切り詰めたくなりがちな 「ゆとり」とも言える。 この概念も欠乏を理解するうえで鍵を握っている。 ◆いつも「時間がない」と言って忙しくしている人は 欠乏を経験している。 時間が足りないと嘆く人と、 お金が足りなくて生活が苦しいと思っている人に 共通する心理があり、 その心理が行動に影響するために 似たような行動が生まれる。 ◆欠乏の道筋をずんずんさかのぼると、 豊かさにたどり着く。 景気後退の原因は好景気にわいているときの 人々の行動にあり、 土壇場の詰め込みはその前数週間の怠惰のせいである。 欠乏は多くの重大な問題で主役を演じているが、 その舞台をととのえたのは豊かさなのだ。 欠乏と同じように、 豊かさにもさまざまな問題全体に作用する 共通の論理があるのだろうか? ◆締め切りの近くに欠乏経験が生じる原因は、 たいていの場合、 時間がたっぷりあった時間の時間管理のやり方にある。 この欠乏と豊かさの緊密なつながりは、 さまざまな場面で再現される。 農民は前回の収穫で手にしたお金の使い方のせいで、 収穫前に金欠になる。 豊かなときにどう行動するかが、 来るべくして来た金欠の一因となるのだ。 人はお金がありあまっているときに貯金しない。 締め切りがずっと先のときにだらだらと過ごす。 ◆私たちは豊かさを、 ただ欠乏がないときに生じるものとして扱ってきた。 まるで、 万事順調なときの「標準的」状態であるかのように。 しかし自分のことをよく考えてみると、 私たちがほんとうに豊かだと感じた期間があって、 そういう期間は欠乏していなかっただけでなく、 ほかのどうということのない期間とも 違う感じがすることがわかる。 豊かさの心理が作用する時間がある。 そして豊かさの心理がとくに興味深いのは、 そこに生まれるべくして生まれる 欠乏の種が隠れている。