◆現代は、AI革命の結果、 個別の専門知識だけなら、 AIが、世界中の最先端の知識を、 分かりやすく教えてれる時代になった。 その結果、人間の価値は、 様々な専門知識を持っていることではなくなる。 では、「知識」が人間の価値でなくなるのであれば、 何が価値となるのか。 それは・・・「知の生態系」である。 すなわち、「一つのテーマ」「一つの問題」 「一つの問い」を中心として、 様々な知識と叡智が結びついて個性的な 「知の生態系」を持っていること、 自身の知的成長とともに成長し続ける 「知の生態系」を持っていることが、 その人間の価値になっていく。 例えば、「人間とは何か」「組織とは何か」 「社会とは何か」「生命とは何か」 「心とは何か」「幸せとは何か」「死とは何か」 「宇宙とはなぜ存在するのか」 「地球とは奇跡の惑星か」 「自然と人間の関係は何か」 といった問を心に抱くことである。 ◆近年、様々なメディアの発達と多様化によって、 人々が情報や知識を手に入れる方法が、 劇的に変わってきた。 その結果、「活字メディア」である書物よりも、 「マルチメディア」である映像や動画を通じて 情報や知識を手に入れる人々が増えているのである。 特に、若い世代は、 YouTubeやTikTokなどで情報や知識を 手に入れることが主流になっており、 その結果、書物を読む人が少なくなっている。 また、シニア世代は視力が衰えることにより、 紙の本ではなく、オーディオブックで 本を読むのではなく、聴く時代になった。 そして、情報や知識を手に入れるメディアとして、 映像や動画が主流になることによって、 大きく変わったことがある。 それは、映像や動画は、マルチメディアであるため、 活字メディアに比べて、 視聴覚に訴える迫力がある「疑似体験」や、 強く印象に残る「仮想体験」ができることである。 このこともまた、「教養」の意味を、 これからも大きく変えていく。 ◆「該博がいはくな知識」だけなら、 もはや、人間はAIには絶対に敵わない時代を 迎えているのであり、 AI革命が、「該博がいはくな知識」を持つことの価値を、 大きく低下させてしまったのである。 そして、その結果、かつては、 人材に対する「褒め言葉」であった「博識」や 「物知り」「博覧強記」といった言葉が、 いまでは「死語」になってしまったのである。 ◆これまで、世の中で語られてきた「教養」とは、 概ね、 ・書物を通じて学んだ、 ・様々な専門分野の、 ・該博がいはくな知識 といった次元で理解されてきた。 そのため、 これまでの「教養論」は、 しばしば、「歴史を学べ」「宗教学を学べ」 「政治学を学べ」「経済学を学べ」 「心理学を学べ」「人間学を学べ」 といった形で、幅広いジャンルでの読書を勧め、 様々な専門知識を学ぶことを勧めてきた。 しかし、真の「教養」とは、 本来、多くの本を読み、 様々な知識を学ぶことではなく、 そうした読書と知識を通じて、 「人間としての生き方」を学び、 実践することである。