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得する生活―お金持ちになる人の考え方[1] 【橘 玲】



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◆金融機関の融資姿勢が問題になっている。

融資にあたって不動産を担保に取ったり、
連帯保証人に判を捺させたりするからだ。

担保を見て貸すのではなく、
人を見て貸すのが理想の銀行だとされている。

しかしこれは、最悪の銀行である。

なぜか?

融資に必要な客観的な条件が明示されていれば、
断られても人格が傷つくことはない。

多少金利は高くてももっと条件の
緩い金融機関を当たるか、
必要な条件を整えてから
もう一度申請すればいいだけだ。

それに対して、あなたが「人を見て貸す」銀行に
融資を求めて拒絶されたらどうだろう。

その銀行は客観的な条件で判断したわけではないから、
あなたの人間性を否定したことになる。

それでもあなたは、
銀行の理想の姿だと感服するだろうか。

まともな金融機関はその危険を知っているので、
人を見て融資などしない。

「人柄で即決」は闇金融業者の常套句である。

◆アメリカの社会保障の劣悪さは有名だが、
それが自由の代償であることはあまり知られていない。

社会保障のコストが低い社会だけが、
海外から大量の移民を受け入れることができる。

私たちは(日本人)、アメリカよりも
日本の方が平等な社会だと考えている。

だが、真に平等なのはどちらだろうか?

日本が現状の社会福祉を維持しながら
大量の移民を受け入れたらどうなるか?

国家の財政は破綻する!

福祉国家は往々にして、
「地獄」へと続く一里塚になる。

◆福祉社会は差別社会である

資本主義は、
与えられた条件の中で工夫と努力を積み重ね、
より多くの貨幣を獲得するゲームだ。

ゲームである以上、
勝者もいれば敗者もいる。

ところが困ったことに、
世の中にはこのゲームが
気に入らない人がたくさんいる。

この人たちは、
「人間は平等なはずなのに
金持ちと貧乏人がいるのは差別である」と批判する。

資本主義のルールは正義に反しているのだから、
国家はその歪みを正し、
貧しい人や、病気で苦しんでいる人や、
不幸な人を一人残らず救う
崇高な義務を負っていると言う。

この主張は一見、
文句のつけようがない。

誰だって、不幸な人を助けたいと思う。

一人の大金持ちと99人の貧乏人がいる社会よりも、
みんなが少しだけ小金持ちの平等な社会の方が
住みやすいに違いない。

しかし、話はそう簡単ではない。

働かなければ人は貧乏になる。

貧乏になると、
国が生活費を支給してくれる。

そうなると、
働かずに国の金で暮らした方が人生が楽しい、
という合理的な結論が導かれる。

国家が貧しい人たちの生活を支援すると、
働かずに国家に寄生して生きていこうとする人が
増える。

このようにして、
崇高な精神から悪徳が生まれる。

なぜロシアの人々は、
秘密警察(KGB)と収容所(ラーゲリ)の
スターリン時代を愛したのだろうか?

それは、働かなくても暮らしていけたからだ。

◆覚醒剤を合法化しよう

覚醒剤事犯は初犯以外、
執行猶予をつけることができない。

犯人を刑務所に送ると、
何年にもわたって
税金で面倒を見なければならなくなる。

これでは、
かたちを変えた生活保護と同じだ。

こうした問題を解決する方法はひとつしかない。

覚醒剤を合法化すればいいのだ。