◆聖人は人を責めぬもの 人民に怨みごとがある場合、 それを人為的に完全に調停するのは無理があるので、 始めから人民に対して怨みを結ばない方がよい。 大きな怨みを持つ者を和解させたとしても、 必ずあとまで怨みが残る。 どうして善いことといえようか。 そういうわけで、 聖人は割り符(法律や権威の象徴) の左半分をもっていても、 それで人を責めたりはしない。 徳のあるものは契約を司つかさどり、 徳のないものは徴税ちょうぜいを司る。 ◆汝自身を知れ 汝自身を知れというのはギリシャの格言であるが、 老子にも似た格言がある。 ただ、老子は徹底的に内省的である。 他人のことが分かる者は知者であるが、 自分のことが分かる者は明者である。 他人にうち勝つ者は力があるが、 自分にうち勝つ者は真しんに強い。 満足を知るものは富み、 懸命に行う者は志がある。 自分のいるべき場所を失わない者は長続きし、 死んでも忘れ去られない者は長寿できる。 ◆「老子」が唱える「人としての理想的なあり方」 古代中国の思想家は、 たいがい聖人について大きな関心を払っており、 老子もまた例外でなく、 「老子」中には聖人に言及した章が多い。 聖人は道と同質であり、 聖人の為政いせいについて語った章も多い。 ただし、儒家の説く聖人は無為むいであり、 無為の観点から儒家の教説の批判もしている。 そうした聖人のあり方は、 喩たとえて言えば、 地勢に従って自然に進み、 低いところに位置する水のようなものであるとされる。 鋼強ごうきょうなるものにうち勝つ柔弱にゅうじゃく な水を高く評価する思想は「老子」 の際立った特色である。 低いところに位置すべしとすることは 一種の自虐的じぎゃくてきな思想であるが、 それは平和の思想や、 受動的な存在としての女性の尊重、 柔らかい赤子を理想とすることにも通じる。 具体的な政治形態としては小国寡民しょうこくかみん を良しとする思想が見えるが、 戦国という当時の弱肉強食の時代においては、 これも極めて独創的な主張であった。 ◆「老子」の思想 まず、「老子」では宇宙や人間の 存在そのものが考察されており、 その点では現実世界の問題に終始した 儒家じゅかの思想と大いに違っている。 老子は道家どうかの代表的思想家であるが、 道家という呼び方からもわかるように道タウを尊重し、 道がどのように生成されるかを論じた点に 大きな特色がある。 道とは宇宙そのもの、 あるいは宇宙の摂理ともいうべきものであり、 永遠に存在するものである。 そこで、数章にわたって、道の生成や働き、 道から万物が生成されるありさまが論じられている。 道はまた無とも呼ばれており、 無の思想は、莊子の思想と融合して後に 中国仏教に大きな影響を与えた。 ◆「老子」の思想 ・道タウと無 道(宇宙の摂理、永遠に存在する) =無(中国仏教に大きな影響を与えた) ・聖人と無為 聖人(道と同質) =無為◀▶有為(儒家の説く聖人) ・水の思想 柔弱じゅうじゃく▶(うち負かす)鋼強ごうきょう 水は硬い岩をも砕くことができる。