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老子(図解雑学)[2] 【蜂屋 邦夫】



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けんのちという三宝

身の立て方としてもっとも
基本的なことを三宝として表わした。

このうちの慈は戦闘の場合でも
極めて大切である、とする。

わたしには三つの宝があり、
しっかりと保持している。

第一は慈悲、第二は倹約、
第三は天下の人々の先頭には立たない、
ということである。

慈悲深いから勇敢でありうるし、
倹約であるから広く施しうるし、
天下の人々の先頭には立たないから
仕事を担う人々の長と成りうるのだ。

いま、慈悲をすてて勇敢であろうとし、
倹約をすてて広く施そうとし、
人の後になることをすてて
先頭に立とうとすれば、
死んでしまうであろう。

◆真の強者は争わない

老子風の真の強者はどのような者か。

それは猛々たけだけしくなく、
怒らず、争わず、巧みに人を用いる者だ。

すぐれた戦士は猛々しくない。

すぐれた戦闘家は怒りに任せない。

うまく敵に勝つ者は敵と争わない。

うまく人を使う者は、
彼らにへり下る。

これを争わない徳という。

これを人の能力をうまく使うという。

これを天に匹敵ひってきするという。

昔からの最高の道理である。

◆道は知識を減らすこと

世間一般の学問は知識を増やし、
行動を飾っていくもの。

それに対して、
道を実践すると知識や欲望は
日に日に減少する。

学問を修めると日々に知識が増えていくが、
道を修めると日々に余計なことが減っていく。

余計なことを減らし、
さらに減らして、
無為にまで行きつく。

無為でいて、
しかもすべての事がなされていく。

天下を取ろうとするならば、
常に無事ぶじであるようにせよ。

なにか事を構えれば、
天下は取れるものではない。

◆自己を顕示してはならぬ

自分も見方、考え方だけにったり、
自分の功績をひけらかしたりなど、
自分を全面に押し出すようなあり方を
道の観点から批判する。

つま先で立つ者はずっと立っていられず、
大股で歩く者は遠くまでは行けない。

自分から示す者は自分を明らかにはできず、
自分を正しいとする者は判断が明晰ではない。

みずからる者はこうがなく、
みずから尊大な者は長つづきしない。

道の観点から見ると、
これらのことは余った食べもの、
余計な付き物という。

人々は、
いつもそういうことを嫌うから、
だから道を体得した者は、
そんなことはしないのだ。

◆最高の状態は持続できない

最高の状態は持続できず、
財宝も、富や権力も維持できない。

むしろ災難の原因にもなるから、
成功すれば適宜引退するのがよい。

水を満たした器を持ち続けるのは、
やめておいた方がよい。

刃物を鍛えて鋭くするのは、
長く切れ味を保てない。

金銀財宝が部屋いっぱいにあるのは、
守り続けることができない。

冨貴ふうき驕慢きょうまんならば、
みずから災難を招く。

仕事を成し遂げたら引退する、
それが天の道というものだ。