◆慈じと倹けんと後のちという三宝 身の立て方としてもっとも 基本的なことを三宝として表わした。 このうちの慈は戦闘の場合でも 極めて大切である、とする。 わたしには三つの宝があり、 しっかりと保持している。 第一は慈悲、第二は倹約、 第三は天下の人々の先頭には立たない、 ということである。 慈悲深いから勇敢でありうるし、 倹約であるから広く施しうるし、 天下の人々の先頭には立たないから 仕事を担う人々の長と成りうるのだ。 いま、慈悲をすてて勇敢であろうとし、 倹約をすてて広く施そうとし、 人の後になることをすてて 先頭に立とうとすれば、 死んでしまうであろう。 ◆真の強者は争わない 老子風の真の強者はどのような者か。 それは猛々たけだけしくなく、 怒らず、争わず、巧みに人を用いる者だ。 すぐれた戦士は猛々しくない。 すぐれた戦闘家は怒りに任せない。 うまく敵に勝つ者は敵と争わない。 うまく人を使う者は、 彼らにへり下る。 これを争わない徳という。 これを人の能力をうまく使うという。 これを天に匹敵ひってきするという。 昔からの最高の道理である。 ◆道は知識を減らすこと 世間一般の学問は知識を増やし、 行動を飾っていくもの。 それに対して、 道を実践すると知識や欲望は 日に日に減少する。 学問を修めると日々に知識が増えていくが、 道を修めると日々に余計なことが減っていく。 余計なことを減らし、 さらに減らして、 無為にまで行きつく。 無為でいて、 しかもすべての事がなされていく。 天下を取ろうとするならば、 常に無事ぶじであるようにせよ。 なにか事を構えれば、 天下は取れるものではない。 ◆自己を顕示してはならぬ 自分も見方、考え方だけに拠よったり、 自分の功績をひけらかしたりなど、 自分を全面に押し出すようなあり方を 道の観点から批判する。 つま先で立つ者はずっと立っていられず、 大股で歩く者は遠くまでは行けない。 自分から示す者は自分を明らかにはできず、 自分を正しいとする者は判断が明晰ではない。 みずから伐きる者は功こうがなく、 みずから尊大な者は長つづきしない。 道の観点から見ると、 これらのことは余った食べもの、 余計な付き物という。 人々は、 いつもそういうことを嫌うから、 だから道を体得した者は、 そんなことはしないのだ。 ◆最高の状態は持続できない 最高の状態は持続できず、 財宝も、富や権力も維持できない。 むしろ災難の原因にもなるから、 成功すれば適宜引退するのがよい。 水を満たした器を持ち続けるのは、 やめておいた方がよい。 刃物を鍛えて鋭くするのは、 長く切れ味を保てない。 金銀財宝が部屋いっぱいにあるのは、 守り続けることができない。 冨貴ふうきで驕慢きょうまんならば、 みずから災難を招く。 仕事を成し遂げたら引退する、 それが天の道というものだ。