◆そもそも、なぜ働くのか? オーストラリアではすべての国民に失業保険の加入を 義務づけていた。 ところが、 1930年代の世界大恐慌で マリエンタールの町の労働者の約4分の3が失業した。 この保険は失業で失われた賃金の かなりを補う額になるはずだが、 一つ問題があった。 受給資格を得るには、 解雇された労働者たちは 報酬を伴ういかなる仕事も してはいけないことになっていた。 ほんのちょっとした仕事さえ許されなかった。 しばらくすると町全体が無気力状態に陥った。 散歩が習慣だった人は散歩をやめ、 ハイカーはハイキングをやめた、 主な余暇の過ごし方は昼寝になった。 男性はもはや時間を気にする必要がないので 時計を身につけなくなり、 妻たちは夫がいつも夕食に遅れることに 不満をもらすようになった。 町の人々は暇な時間ができても、 読書をしたり、 絵を描いたりというような 芸術活動や知的な楽しみにふけることはなかった。 それどころか、 町の図書館の平均貸出数は50%も落ち込んだ。 どうやら、 働けなくなってしまったことで、 町の住民はあらゆることに興味を失うほど 無気力になってしまった。 仕事は収入以上のものをもたらしてくれる。 アイデンティティや目的意識に加え、 私たちがそのほかの活動や興味を うまくやりくりするための 枠組みも与えてくれる。 また、仕事は心の健康にも大きな効果を もたらすことがある。 定年退職した人は、 仕事の代わりに何か新しいことを始めないと、 認知力の低下が加速する危険がある。 調査によると、 給与がモチベーションになっているとする回答は 4%にすぎない。 従業員が挙げたのは、 チームの連帯感、 仕事のやりがい、 一人の人間として尊重されること、 自分の役割に自信を感じられることだった。 ◆「これ以上は無理だ」を、いつ、 どうやって判断するか?(1) 「やり抜く力」は必要だが、 愚かであってはならない。 達成できない目標に対する最も機敏で 順応性のある対処法は、 目標を調整すること、 身を引いてほかの目標に乗り移ることだ。 これは恐ろしく苦渋の決断である。 やり抜く力こそが重要な資質だという考えに 固執すると、 自分は臆病者だという感覚に陥りやすくなる。 だが、論理的で正直な選択をするのは 少しも恥ずかしいことではない。 こうした変化は、 挫折ではなく前進なのだ。 ◆「これ以上は無理だ」を、いつ、 どうやって判断するか?(2) やり抜くかやめるか、 いつどうやって判断すればよいのか? 経済学者のスティーブン・ダブナーは、 埋没コストと機会コストという2つの要素を検討した。 埋没コストとは、 ある挑戦に対してすでに投入し、 いまさらあきらめるのが惜しいと感じている 投資(資金、時間、労力)だ。 機会コストとは、 すでに選択したことを継続するために 断念した挑戦を指す。 簡単に言えば、 特定のプロジェクトや仕事、 人間関係に投じられた資金や時間は、 別のプロジェクトや仕事、 人間関係に振り向けることはできない。 埋没コストについて気をやむのをやめれば、 さらに多くの時間と資金を投資する 価値があるかどうか、 的確に判断できるようになる。 ◆「これ以上は無理だ」を、いつ、 どうやって判断するか?(3) 続けるべきか、あきらめるべきか、 その本当の答えは、 感情の柔軟性を支える自己認識を通してのみ 得ることができる。 自分の感情に向き合い、 距離を置き、 前進し、根底にある価値観と目標を見つけ、 それを追い求める。 やり抜くかやめるか決断に直面したときは、 次のことを自問して見る。 ・総合的に見て、自分がしていることに 満足しているか、 それとも喜びを感じているか? ・これは私にとって大切なことであるか、 つまり自分の価値観に合っているか? ・これは私の長所を生かしているか? ・自分に本当に正直になるなら、 私(またはこの状況)は、 本当に成功すると信じているか? ・これをやり抜くには、 どんな機会を断念することになるか? ・私はやり抜く力を発揮しているか、 それとも愚かなのか?