「憂うきことの なおこの上につもれかし 限りある身の力ためさん」 つらいことが この身に降り掛かるなら降り掛かれ。 限りある身だけれど、 自分の持てる限りの力で、 どこまで出来るか試してみようではないか。 熊沢蕃山には 有名なエピソードがある。 蕃山は、 山の上の一寒村に貧しい暮らしをしていた 百姓の家に生まれた。 血筋は大変よかったらしいが、落ちぶれて、 結局は、山家住まいの身になった。 でも、血筋がいいだけに、 学問を志して、 自分の畠に出来た野菜を担いでは 村々、町々に売って歩くかたわら 勉学にいそしんだ。 山二つ越したところに、 中江藤樹が住んでいた。 中江藤樹というと、 儒者で我が国陽明学派の祖、 その当時の優れた学者である。 もちろん、 身分のいやしい者は、 武士の講義する席上に入ることは許されないから、 蕃山は講義の始まる時間に来て、 垣根の外で、 うずくまりながら、 垣根越しに中江藤樹の講義を聞いていた。 そうして暫く月日が過ぎたある日、 門弟が気付いて藤樹に話すと、 「そうか。 それでは庭へ入れてやれ。 下郎の身だから座敷へ上げることは出来ないけれども、 庭ならよいから入れてやりなさい。 そして、廊下のところで聞かせなさい」 といって、講義を聞かせた。 そして講義が終わった後で中江藤樹が、 「そんなに私の話が聞きたいか」と聞くと、 「ハイ、雨の日も、風の日も、 こうして、先生のお話を聞くのが、 私の何よりのつとめだと思って参っております」 「そうか。お前の所は一体どこかね」 「二つ山越た向こうでございます」 「そうか。 すると歩いてくると4時間くらいはかかるねえ」 「ハイ、4時間はかかります」 「どうだ、 聞くところによると、 年をとったおっ母さんと お前だけだということだけれども、 うちの馬小屋が空いているので、 馬小屋に来て住んではどうか。 おふくろさんも、 ここで、時折の話を聞くということになれば、 4時間も山を越えて来なくてもいいではないか」 このとき、蕃山は何と答えたか。 涙を流しながら、 「ご親切なお気持ちは、よくわかります。 けれども、 私は山二つ越えてここへ来るからこそ、 辛抱甲斐があると思っております。 お宅にご厄介になっては、 たいして疲れも感じないで、 いながらにして、 お話を聞くなんてことは、 もったいないことでございます。 やっぱり、 いままでどおり、 働いた揚句に、 二つ山越えてここへまいり、 お話を承る。 これがもう一番、 私の気持ちの中に、 励みが出ますので、 どうぞそうさせて下さい」 といった。