Liberal Arts {Article066}

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観念はどうしてできあがるのか?【ロック】


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ロックは、
デカルトらが唱えていた、
人間には生まれつきの観念が
備わっているとする
「生得観念論」を否定しようとした。

ロックは
その一般的な思想に異を唱えた。

それは必然的に、
生まれたばかりの人間は
白紙の心を持っているという
主張につながる。

ロックはそんな白紙の心を
「タブラ・ラサ」と呼んでいる。

タブラ・ラサとは、
ラテン語で何も書かれていない板
という意味で、
白紙の心といっていい。

心の白紙に書き込んでいく
と考えるとイメージが湧きやすい。

何かを見聞きしたら、
それを理解して自分のものにする。

あたかも自分だけのアイデア帳が
埋まっていくかのように、
次々とアイデアが心の中に
蓄積されていく。

こうして観念は、
外界の事物が私たちの感官を刺激し、
白紙の心に印象が与えられることで
生じるという。

これが経験である。

ロックの考えをより正確に説明すると、
「感覚」と「反省」という二種類の
プロセスを持つ経験が観念を生み出し、
人間の認識行為を可能にしている。

ここでいう「感覚」とは、
視覚、聴覚、触覚などの感官に、
外部の事物が刺激を与えること。
    
私たちは、その刺激により
形成された心的印象を知覚すると、
思考し、疑い、意志を持つといった
反応をする。

この反応が「反省」と呼ばれるもの。

このように、
観念は生まれつきではなく、
経験によって備わるという
考え方をイギリス経験論と呼ぶ。