Liberal Arts {Article072}

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人間の本来的な生き方とは?【ハイデガー】


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ハイデガーによると、
世界内存在とは、
世界の中で様々な事物とかかわり、
それらに配慮しながら生きる様
を表現したもの。

たとえば、
私たちは朝起きれば歯ブラシを使い、
朝食をとるときは食器を使う。

通勤には車を使い、
仕事でパソコンを使い、
寝るときにはベッドを使う。

いわばこれらの事物は
私たちにとって道具であり、
そんな道具の中に私たちは
生きている。

ハイデガーは人間存在のことを
現存在と呼ぶが、
その意味で現存在は
世界内存在なのだ。

ただ、人間が事物とかかわりながら
生きているというのは、
単に人間が物に取り囲まれて
生きていることを意味するわけではない。

そんなふうに物に取り囲まれて、
いたずらに寝食を繰り返すだけの
存在だとしたら、
自分なんて誰でもいいことになる。

ハイデガーに言わせると、
それでは「ただの人、(ダス・マン)」だ。

それだと、
道具の究極目的であるはずの人間が、
交換可能、代理可能な誰でもいい
存在になってしまう。

だからハイデガーは、
交換可能な現存在のあり方を
非本来的であるとして、
本来的な生き方を主張する。

あらゆる生物は環境世界を
持っている。

それはいずれも同じという
わけではない。

無生物にとっては世界が欠けている。

動物にとっては世界が乏しい。

これに対して、
人間にとって世界は形成的である。

つまり人間は自分で世界を
つくり上げていく生き物なのだ。