Liberal Arts {Article074}

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運命は変えられるか?【サルトル】


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サルトルによると、
人間とはすでにある何らかの
本質に支配された存在では
決してなく、
自分自身で切り開いていくべき
実存的存在にほかならないという。

サルトルは実存主義のことを
「実存は本質に先立つ」と表現した。

実存というのは存在のことで、
本質というのは予め決められた
運命みたいなもの。

サルトルはそれをペーパー・ナイフ
を例に説明している。

ペーパー・ナイフというのは、
ある仕方でつくられる物体であると
同時に、一方では何らかの用途を
持っている。

だからこの場合、
ペーパー・ナイフは本質
(用途・役割)が先にあってはじめて、
存在(実在)しているといえる。

本質によって存在が限定されている
といってもいい。

なので、ペーパー・ナイフのような
つくり方や用途の予め決まった存在は、
本質が実存に先立っている。

言い換えると、
運命が決まっている。

しかし、人間の場合は、
この逆で「実存が本質に先立つ」
という。
    
人間は最初は何でもない存在だが、
後になってはじめて人間になる。

しかも自らつくったところの
ものになるという。

つまり、運命は変えられるということ。

サルトルはこの状態を
「人間は自由の刑に処せられている」
と表現した。

これは常に自由に何かを選択する
ことなしには、
一歩も前に進むことのできない
人間の生を表現したもの。

この言葉は、
私たちが無数の選択肢の中から、
自由に選択して人生を歩んでいる
ことを認識させてくれる。