Liberal Arts {Article176}

ようこそ「リベラル・アーツ」へ...

コロナで露見した「変われない」日本


【動作環境】iPhone[○], Android[○], Windows{Microsoft Edge[○], Google Chrome[○]}
世界がコロナという敵に完全に抑え込まれ、
沈黙していたわけではない。

コロナ禍に苦しみながらも、
企業、社会、国家は、
そのような厳しい状況に適応しようとする中で、
一つ上のステージにアップグレードした
というのが正しい見方だろう。

だが、足元の日本を見た場合、
こうして一変した環境や状況に際して、
大きな意識改革や行動変容が起こった
といえるだろうか。

根本的には「何も変わっていない」
のではないか。

コロナ禍によって普及が加速したとされる
テレワークでさえ、
実際のところは、
道半ばどころか急ブレーキがかかり、
後退の兆しが顕著だ。

確かに、
2020年の最初の緊急事態宣言の際には、
政府の要請に従って全面的に
導入する企業が急増した。

だが、解除後は元の木阿弥となり、
一部の大企業や先進的な企業を除き、
大半が以前のような会社への通勤が
日常となってしまった。

政府や自治体がいくら
「出勤7割減」を訴えても、
通勤の混雑はさして変わらない。

問題は、会社がオフィスワークを
強いていることではなく、
働いている当人たちが、
会社に行って働くほうが「楽」だと
考えてしまっていることだ。

オンライン会議、オンライン営業よりも、
実際に会って面と向かって話したほうが
「効率的」とさえ思っている。

一方、世界はといえば、
中国は75%、米国61%など、
日本の倍近くか、
それ以上の国が大半だ。

日本のテレワーク率は20%で、
全面的にテレワークを行っている人は
5%に過ぎないというデータもある。

定性的にも、定量的にも、
日本は圧倒的なテレワーク
後進国なのである。

何も、テレワークの導入が遅れている側面を
ことさら強調したいわけではない。

問題は、日本人は、
世界でも稀な「変わることが苦手な民族」
であるということだ。

コロナによって変わってしまった社会に対し、
世界は自分たちを変えることによって
適応しようとしている。

しかし、日本は、変わることを拒み、
嵐が過ぎ去るのを
ひたすら待っているのである。