◆自己責任論を声高に主張する人もいるが、 人の能力の半分は遺伝、 残り半分は非共有環境によって 形づくられている。 どんな遺伝子を持って生まれてくるか、 そしてどんな環境に出会うかも、 すべては「運」である。 個人の努力を超えた問題に関しては、 やはり社会保障の仕組みをつくって 対応することが不可欠。 例えば、 ベーシックインカムのような制度は 検討する必要がある。 ◆絶対優位▶比較優位▶潜在優位 いまはまだ実現された絶対優位でも 比較優位でもなく、 ひょっとしたら取り組んでもいないけれど、 将来できそうだ、いつかやってみたい、 これをやらずに死にたくない、 その実現のために、 いまちょっとばかりの労力を かける気持ちになれそうな、 そういう能力や知識や技能... それが「潜在優位」である。 ◆絶対優位 vs 比較優位 「得意」とは絶対優位のこと。 誰よりもよくできること、 日本一、世界一の水準に達しているようなこと。 誰と比較しても優位な能力を持っているのであれば、 それで世の中に貢献することができる。 しかしそんなものを持っている人は ごくごく一部である。 絶対優位にある「得意」なことがないとき、 あなたの中で「好き」なことを選ぶ。 あなたがこれまで生きてきた経験から、 あなたのしてきたこと、できること、 しなければならないことのうち、 あなたの中で一番「好き」だと感じていること、 それが比較優位である。 それを絶対的な基準でもっとうまくこなす人はいる。 しかしそんなことにお構いなく、 比較優位の能力として 貢献することができる。 ◆安定した関係を築ける ダンバー数(100人から230人程度)を はるかに超えた人々と、 私たちは日々つながり、 その中での自分の立ち位置を確かめては 優越感を感じたり、劣等感を感じたりしている。 全員がチャンピオンになれるわけがないし、 なる必要もないのに、 世界ランキングを見て一喜一憂している。 そしてどのランキングにも 自分は入れないと思わされてしまう。 しかし人間はもともともっと ローカルなコミュニティで 自分を活かして生きるようにできている。 それはダンバー数(100人程度)に収まる コミュニティである。 ◆何をどうしても成績が悪いという シグナルが出ているのであれば、 あなたにはその分野の才能がない、 あるいは適切な環境と出会っていないために 発現していない。 だから時間やお金といったリソースを 別のことに振り向けて 生存を図るべきではないか。 ◆小学校から中学校あるいは高校までの9年間、 12年間かけて授業を受けても、 たいていの人はそれがほぼ 何の血肉にもなっていない。 それならば、 一生の間に自分に適したタイミングで、 学べるようにすればいい。 「それでいい」という空気が 世間に広まってくれば、 受験や就職における学歴偏重の状況を ずいぶん改善できるのではないか。