◆あなたの会社で セールスパーソンを採用するとしよう。 あなたが真剣に最高の人材を 雇たいと考えているなら、 やるべきことは次のことだ。 まず、この仕事で必須の適性 (技術的な理解力、社交性、信頼性など) をいくつか決める。 欲張ってはいけない。 6項目がちょうどよい。 あなたが選ぶ特性は、 できるだけ互いに独立した ものであることが望ましい。 また、いくつかの事実確認質問によって、 その特性を洗い出せるものがよい。 次に、各項目について質問リストを作成し、 採点方式を考える。 5段階でもよいし、 「その傾向が強い、弱い」 といった評価方式でもよい。 このわずかな投資で、 採用する人材のクオリティは 大幅に向上するはずだ。 ◆研究から得られる重要な結論は、こうだ。 封筒の裏に走り書きするような アルゴリズムで十分だということである。 簡単な計算式で、 最適な重みづけをした計算式に 十分対抗できることが多いし、 専門家の判断を上回る可能性も高い。 このことは、 ファンドマネージャーによる銘柄選定から 医師または患者による治療法の選択に至るまで、 幅広い分野に当てはまる。 ◆予測精度を最大限に高めるには、 最終決定を計算式にまかせるほうがよい。 とりわけ、 予測可能性が低い環境についてはそう言える。 ◆調査結果によると、 評論家の予測に比べれば、 現状維持・プラスの変化・マイナスの変化に 単純に同じ確率を割り当てるほうが ましだった。 言い換えれば、 特定の分野を日頃から多大な時間を使って研究し それで食べている評論家たちは、 ダーツを投げるサルよりもお粗末だった。 得意分野とするものについてさえ、 専門外の人を大幅に上回る成績は 上げられなかった。 ◆予測は可能だとする錯覚は いっこうに消え去る気配がない。 そこにつけ込んでいるのが、 予測を仕事にしている人たちである。 投資アドバイザーだけでなく、 政治や経済の評論家もそうだ。 ◆評論家連中の錯覚 過去は容易に説明できると感じられるため、 大方の人は未来が予測不能だとは 考えようとしない。 私たちは過去について辻褄の合った後解釈をし、 それを信じ込む傾向がある。 そのせいで、 自分たちの予測能力には限界があるとは なかなか認めたがらない。 あらゆることが、後知恵で見れば意味を持つ。 だから金融評論家は毎晩その日の出来事について 説得力のある説明を披露できる。 そして私たちは、 今日後知恵で説明がつくなら 昨日予測できたはずだ、 という直感をどうしても払い去ることができない。 過去をわかっているという錯覚が、 未来を予測できるという過剰な自信を生む。 ◆残念ながら、 ある会社の将来性を評価するスキルだけでは、 株取引で成功するには十分ではない。 なぜなら株取引における重要な問題は、 その会社に関する情報がすでに株価に 織り込まれているかどうかを 見極めることだからである。 この決定的な問題に答える能力は トレーダーには欠けているように思われるが、 彼らは自分たちの無知に気づいていないようだ。 ◆重要なのは、 ファンドの運用成績は、 どの年をとっても前年実績との 相関関係はきわめて小さく、 ゼロをほんのわずか上回る程度である。 つまり、ある年にうまくいったファンドは、 ほとんど幸運のおかげなのだ。 サイコロの目がよかったということである。 きわめて効率的な市場においては、 高度な知識に基づく推測は あてずっぽうより正確とは言えない。 ◆投資ファンドは、 経験豊富なうえ猛烈に働く プロフェッショナルが運用しており、 彼らは巧みな売り買いを通じて、 顧客のために望みうる最高の結果を 達成できると考えられている。 にもかかわらず、 50年間にわたる調査の結果には議論の余地がない。 彼らの運用成績は、 ポーカーよりもサイコロ投げに近いのである。 少なくとも投信ファンド3件に2件は、 どの年をとっても、 市場全体のパフォーマンスを下回っていた。 ◆的確な銘柄選択で市場を打ち負かす能力を 持ち合わせたファンドマネージャは、 ほとんどいない。 ファンドマネージャを含むプロの投資家は、 成績の安定的な持続という基本的な 能力テストに軒並み不合格である。