◆私たちは時間について、 「命の次に大事」という言い方をするが、 これは間違いである。 時間こそは私たちの「生」そのものなので、 「時間=命」である。 ◆私たちは経済活動の中で 「金」と「モノ」を交換していると思っているが、 それは錯覚である。 私たちがお金と交換しているのは、 物品や不動産やブランドなどではなく、 実は「時間」である。 つまり、 私たちの生活のすべては 時間が基準になっている。 ◆会社の経営者たちは社員から買い取った時間を、 別の人に売ることで利益を得ている。 つまり、 「時間の卸問屋」みたいなもの。 あるいは「時間の流通業者」と呼んでもよい。 ◆私たちは生きるために仕事をする。 1日のうちの何時間かを仕事に費やし、 そうして得たお金で生活している。 つまり「仕事」というのは、 言い換えると「時間の売買」である。 ◆あらゆる作業の結果として生じる 「成果、評価、報酬、達成感」などは、 すべて「時間」を形にしたものである。 この前提に立った時、 その形(成果、評価、報酬、達成感) が見えない作業は、 「時間」をドブに捨てたのと同じである。 ◆「好きなことを仕事にする」のではなく、 「仕事を好きになる」 ◆感動と驚きの多い時を過ごせば、 「人生の時間」は長く濃いものになり、 つまらない時は、逆に短く薄いものになる。 ◆すべての道具は 「長生き」のために作られた。 「楽しい時間が増えれば寿命が 延びたことと同じである」 と気付いたホモ・サピエンスたちは、 その時間を生み出すために様々な道具を発明した。 ◆「充実した時間が少なければ 寿命が短い(時間が減る)」、 そして「充実した時間が多ければ 寿命が長い(時間が増える)」 と言える。 つまり、 物理的な時間は同じでも 「長生き」できる。 ◆物理的な時間を長く生きても 「長生き」にはならない。 「充実した時間」こそが 「長生き」の要諦。 私たちが長生きしたいというとき、 そこには無意識にある条件を付けている。 その条件とは、 「健康である」のは当然として、 「充実した時間」 「喜びにあふれた時間」 をもっての長生きである。