Liberal Arts {Article242}

ようこそ「リベラル・アーツ」へ...

ラ・フォンテーヌの童話【コウモリと二匹のイタチ】



【動作環境】iPhone[○], Android[○], Windows{Microsoft Edge[○], Google Chrome[○]}
◆コウモリと二匹のイタチ
(あらすじ)
これは一匹のコウモリと二匹のイタチの物語。

一匹のイタチは大のネズミ嫌い。
もう一方の別のイタチといえば、
大の鳥嫌いだった。

あるとき一匹のコウモリが、
イタチ夫人の家に間違って舞い込んでしまった。

ネズミのことを憎らしく思っていたイタチ夫人は、
飛び込んできたコウモリをネズミと勘違いした。

大嫌いなネズミなので、
イタチ夫人はそれを食べてしまおうとした。

するとコウモリは、イタチ夫人にこう言った。

「お許しください。
でも私はネズミなんかじゃありませんよ。
私はれっきとした鳥なんです。
見てください。この私の翼を。
ネズミに翼はあるでしょうか。
私は鳥のコウモリですよ。」

そう聞いてイタチ夫人は、
コウモリを逃してあげることにした。

それから数日後にコウモリは、
今度は鳥嫌いのイタチ女史の家に
間違えて飛び込んでしまった。

すると鳥嫌いのイタチ女史は、
コウモリを鳥だと思っていたので、
彼を食べようとした。

するとネズミのふりをしたコウモリは、
イタチ女史にこう言った。

「ネズミの私を鳥だなんて、
よく見ていないのですね。
私が鳥だというなら、
羽毛があるはずではないですか。
ところが私はネズミですから、
羽毛なんかありません。」

こうした逃げ口上で鳥になったりネズミになったり、
イタチを説き伏せたコウモリは、
二度も命拾いをした。

まわりの状況をとくと見極め、
臨機応変に立ち回れるのが賢者の証拠。

卑怯者のそしりを受けようが、
わが道をいくのもひとつの生き方。

現代という時代を思えば、
私たちが幼いころに読んだイソップ童話に登場した、
「天罰コウモリ」では生き残れない。

むしろ「賢者にまつりあげられたコウモリ」
の判断力こそ、今を生き抜く知恵だろう。

考えをめぐらせると、
要領よく生きのびることがいいのか、
卑怯を潔しとしないで
かたくなに生きることがいいのか、
ジレンマにさいなまれる。