◆個人を持たない自立していない日本人 (人に委ねて自己決定することなく 生きてきた人)は、 群れから離れて「ひとり」になることを恐れるが、 自分で自己決定して生きてきたドイツ人は、 「人間は本来ひとり」という認識なので、 孤独をすんなりと受け入れて楽しんで生きている。 ◆ドイツでは、 ほとんどの老人がひとり暮らしだ。 ひとり暮らしで高齢なのに、悲惨ではない。 なぜか? 「自分」を持っている国民と、 「自分」を持たない国民の違いにある。 つまり、「自立している国民(ドイツ)」と 「自立していない国民(日本)」の違いだ。 ドイツでは、幼い頃から自分で考えて 決断するように教育されている。 日本の場合、 子どもの進路を親が決めることが多いが、 ドイツの場合は本人の決断に委ねられる。 ドイツではほとんどが10歳で進路を決める。 つまり、ドイツでは、 人間としての「自立」が早い。 ドイツでは18歳で、 ひとりで生活することで大人にさせられる。 なので、早い時期から、自分の行き先を考え、 決断し、自立して社会で 生きなければならないので、 孤独についても子どもの頃から学び、 身についている。 ドイツでは「人は孤独なのが当たり前」 という考え方を誰もが持つ。 なぜなら、「自立」と「孤独」は セットだと知っているから。 ◆結婚も、 見方を変えれば男女間の取り引きだ。 永久就職とはよく言ったもので、 「籍」を入れさせてもらうことで、 食いっぱぐれを防ぐという意味で同じだ。 愛を信じたいが、 女性にとっての結婚の価値は 「愛」ではなく「籍」という見方がある。 「籍」ほど、 女性にとり魅力敵なものはない。 そして、「籍」ほど恐ろしいものはない。 それが今の日本の戸籍制度だ。 ◆ひとり身の高齢者は、 お金を持っているふりと、 寂しい顔を表に出してはいけない。 また、こんなときに子どもがいたらと、 弱気になってもいけない。 ひとりで生きてきた人は、 孤独なのはあたり前なのだから、 人生終盤で血縁を求めたら、 これまでの自分の生き方を 否定することになる。 ◆残念だが、 女性は夫よりもお金が好きだ。 妻のボランティア活動について行く 定年夫がいるが、 妻との関係を悪くし嫌われるだけなので、 ついて行かないほうがいい。 妻と一緒の老後の幻想は 持たないほうが賢明だ。 妻との距離は、平行線が一番。 定年夫は、 妻との距離を縮めないように心がけること。 ◆有料老人ホームに入居するというのは、 安心を買うということだ。 しかし、安心は手に入れられても、 幸せを手に入れるのはまた別の話だ。 もし、老人ホームの生活に幸せを求めるのなら、 部屋でひとりで好きなことに没頭するか、 それとも努力しておしゃべり相手を見つけるか、 どちらかしかないだろう。 「老人は老人が嫌いだ」。 その環境(老人ホーム)の中で死ぬまで 時間を過ごすのは容易なことではない。 ◆「どんなことがあっても、 老人ホームには入らない。絶対に嫌だ!」 という老人もいる。 しかし、子どもの生活を考えると、 結局は入居せざるを得ない親は多い。 老人ホームが死を待つ場所である老人たちにとり、 言い方は悪いが独房のようなものだ。 もちろん、 老人ホームでの生活を楽しんでいる人もいる。 でも表面上は楽しく見えるだけで、 心の中は寂しい人も多いはず。 ◆老人ホームに入れられた老人は、 どんなに立派なところを用意されても、 家族に捨てられたという思いがある。 老人は、自分が家族の邪魔になっていることを 敏感に察知する。 ◆老後は孤独であるがゆえに、 「病気になったらどうしよう?」 「お金が尽きたら誰に頼ればいいのか?」 「ひとりで終活ができるのか?」 「一緒に楽しく過ごせる仲間がいない」 というふうに、 「健康や病気」「お金」「終活」「人間関係」 の全部が、孤独であると不利になると 思っている人が多い。 しかし、果たしてそれは正しいのか? 孤独でもいつも明るく楽しく 生きている老人はたくさんいる。 しかも、「健康」「お金」「終活」「人間関係」 の不安もそれほど抱えていないし、 実際に困っていない。 一方で家族がいたり、 家族や友人といつも一緒にいれば、 不安は全部解消するのだろうか? 絶対にそんなことはない。 老後は孤独が悪いことではなく、 むしろ孤独こそ最高の老後にするのに 必須であると確信する。 ◆65歳以上では、 「健康や病気」「お金」「終活(死に支度)」 で不安を抱える人が多い。