人間は自分のことを特別の生物と思っている。 しかし実はそれはそれほど特別ではない。 細胞のレベルで見ると作りや仕組みは酵母やハエと ほとんど変わりがない。 遺伝子の数だって、 酵母やハエに比べればちょっとは多いけれど、 何十倍も違うということはないし、 基本的な遺伝子はすべて共通している。 サルと比べたらもうほとんど差がないと 言ってもいいくらいだ。 だから人間はそんなに威張ることはできない。 でも一つだけ、 他の生物と人間が異なることがある。 サルとでさえ大きく違っている。 それは何かと言えば、 人間にはことさら長い子供時代があるということである。 子ども時代というのは 文字どうり大人になるまでの時間のことだ。 つまり。 生物学的に見て性的に成熟するまでの期間と定義できる。 サルの場合、多くは、生後5年ほどで性的に成熟する。 対して人間は? 五歳や六歳はまだ赤ちゃん同然、 何もひとりではできない。 十代前半で身体的には第二次成長期を迎えるが、 実際に子どもを持つようになるのは、 一般的に言って、もっとずっと後のことになる。 つまりヒトには、特別に長い長い、 子供時間が与えられている、ということだ。 しかも、多くの生物は幼体(幼虫)から 一直線に成虫に向かうのに、 人間の場合だけ、 子ども時代は10年以上ものフラットな時間であり、 そのあと急激な性成熟(思春期)を迎える、 という変則的な成長パターンを取る。 これはいったい何を意味するのだろう? 大人になると、つまり成熟性的を果たすと、 生物は苦労が多くなる。 パートナーを見つけ、食糧を探し、敵を警戒し、 巣を作り、縄張りを守らなければならない。 そこにあるのは闘争、攻撃、警戒といった 待ったなしの生存競争である。 対して子供に許されていることはなんだろう遊びである。 性的なものから自由でいられるから、逃走よりもゲーム、 攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、 それが子どもの特権である。 つまり生産性よりも常に遊びが優先されている 特権的な期間が子供時代だ。 効率を考えると、 生まれてからできるだけ早く生殖年齢に達して、 子孫をどんどん残すことの方が一見有利に見える。 しかし、なかなか成熟せず、 長い子ども時代を許された生物 (つまり人の祖先のサル)が、 たまたまあるとき出現した。 彼は、あるいは彼女は、遊びの中で学ぶことができた。 遊びの中で発見することができた。 遊びを介して試すことができたのだ。 そして何よりも、世界の美しさと精妙さについて 遊びを通じて気づくことができたのだ。 センスオブワンダーの獲得である。 もともと環境からの情報に敏感に反応できるよう、 子どもの五感はとぎすまされて、 これが人間の脳を鍛え、知恵を育み、 文化や文明をつくることに繋がった。