◆1万時間の法則 プロとアマチュアのピアニストについて調べたところ、 アマチュアは子どものころ、 週に3時間以上は練習しなかったし、 20歳時点の練習時間の合計は2000時間だった。 プロの場合は、 毎年、練習時間がだんだん増えていき、 20歳のころの合計が1万時間に達していた。 バイオリニストについても同じことが言える。 調査から浮かびあがるのは、 世界レベルの技術に達するにはどんな分野でも、 1万時間の練習が必要だということだ。 アイスホッケー選手、ザ・ビートルズ、 ビル・ジョイ、ビル・ゲイツなどの 成功事例を調べれば成功要因が分かる。 彼らに才能があったことは間違いない。 だが、彼らの経歴を本当に際立たせているのは、 驚くべき才能ではなく驚くべき「好機」である。 よく、成功するための秘訣が話題になることがあるが、 才能も必要ではあるが80%は「好機」つまり「運」 であると言える。 だから、現代人が過去の成功者の秘訣を学んでも あまり役に立たない可能性がある。 これは、情報商材でも同じことが言える。 その人が成功したのは「好機・運」 に恵まれたのが主な要因なのかも知れない。 ◆成功は社会やシステムによって決められる 私たちは、苦もなくトップに登りつめるのは 才能ある精鋭たちだと考える。 だがホッケー選手の実例は、 そのような考えが単純すぎることを教えてくれる。 もちろん、プロになる選手は、 私たちよりもずっと才能に恵まれている。 だが、同時に早く生まれた選手は、 同じ年齢の仲間たちよりもはるかに 有利なスタートを切っている。 それは与えられて当然なわけでも、 みずから勝ち取ったわけでもない「好機」だ。 そしてその好機こそが、 選手たちの成功の重大な役割を果たした。 社会学者のロバート・マートンはこれを 「マタイ効果」と呼んだ。 「誰でも、 持っている人は更に与えられて豊かになるが、 持っていない人は 持っているものまでも取り上げられる」 言い換えれば、 成功している人は 特別な機会を与えられる可能性がもっとも高く、 さらに成功する。 金持ちがもっとも減税の恩恵を受ける。 できのいい生徒ほどよい教育を受け、 注目を集める。 ホッケーの実例が次に教えてくれるのは、 成功者を効率よく選ぼうと私たちがつくった システムには、 実はあまり効果がないことだ。 才能を見逃さないための最善の方法は、 できるだけ早期にオールスター選手を集め、 英才教育を施すことだと考えがちだ。 私たちは成功を個人の才能と 深く結びつけて考えるあまり、 成功者をトップに押し上げた好機の存在を 見逃している。 私たちのつくるルールが成功の邪魔をし、 あまりにも早い段階で一部の人を失敗者と みなしてしまう。 成功者とそうでない者を決めるにあたり、 私たち、つまり社会が非常に大きな 影響を及ぼしているという事実を、 みんな見落としている。 なぜか? それは私たちが、 成功は個人の優秀さによるものであり、 私たちが育った世界とも、 私たちが社会とみなしたがるルールとも関係がない、 という考えにしがみついているからだ。 ◆アウトライアー(※)が生まれる3つの条件 なぜ、偏かたよりが見られるのか、 その理由は極めて単純だ。 カナダのアイスホッケーの実例: カナダでは単に、 同じ年齢の少年を集めてクラスをつくる場合、 年齢を区切る期日を「1月1日」に設定している。 つまり、ある少年は1月2日に10歳になり、 別の少年はようやく同じ年の暮に10歳になる。 思春期前のこの年令では、 12ヶ月の差が身体の発達に大きな違いを生む。 このような偏りは、 次の3つの条件が揃ったときに見られる。 1: 選別 2: 能力別クラス編成 3: 特別な体験 まず、早い時期に優れているかそうでないかを決める。 次に「才能のある者」と「才能のない者」に分ける。 そして「才能のある者」により質の高い体験を与える。 すると、 年齢を区切る期日のすぐ後に生まれた少数のグループに 大きな優位点が与えられることになる。 ※outlier(外れ値) 中心やその近くの集団から、 著しくかけ離れた地点や、 まったく異なる分類に属する存在。 他の測定値から大きく離れた観察地。 ◆「努力と個人的資質がすべてを決める」 という考え方は間違っている。 成功者がどんな人間かと訊ねただけでは十分ではない。 成功者たちの出自しゅつじを訊ねてこそ、 成功者とそうでない者の背後に潜む本当の理由が 見えてくる。 「高く育った木(成功者)」を見るのではなく、 「森」を見るのである。 ◆健康すぎる村ロゼトの謎 南イタリアの同胞の文化を この山麓の丘に持ち込むにあたり、 彼らは現代社会の重圧や緊張から 自分たちを防護する強力な社会構造をつくりあげた。 ロゼトの住民が健康なのは、 彼らの暮らす町、 彼らが山のふもとの小さな町につくりあげた世界 そのものにあった。 個人の選択の選択や行動だけに着目していては、 その人が健康な理由はわからない。 個人を超えた視点が必要だ。 個人が属する文化を、 その友人や家族が誰かを、 そして家族の住む町そのものを 理解しなければならない。 私たちが暮らす世界の価値観や、 私たちを取り巻く人々こそが、 「私たちが何者であるか」という点に 大きな影響を与えている。