◆現代には恐怖は必要ないと心得よ。 それでも恐怖を感じたら、 その原因を消すために行動せよ。 そうすれば見える景色が変わってくる。 ◆怖がっている暇があれば行動せよ! ◆「食えなくなる」と言うな 「会社を辞めて食えるのか?」 「仕事がないと食えなくなるよ」 などとよく言いますが、 「食えなくなる」という言葉を使うから、 ホームレスになることや餓死をイメージしてしまい、 飢餓への恐怖が引っぱりだされてしまう。 正しい言葉の選び方は、 「食えなくなる」のではなく、 「一時的に収入が減る可能性がある」である。 今の仕事を辞めた途端に 「食えなくなる」=「餓死する」ことはありません。 現実には、 「一時的に収入が減る可能性がある」だけです。 ◆「食えなくなる」という恐怖を捨てよ 現代の日本において、 本当に餓死の恐怖があるのかといえば、 明らかにそれはありません。 現代の日本において 「食えなくなる」「餓死する」ことを 恐れる必要などないことが分かる。 最悪、生活保護制度を利用すればよい。 簡単に生活保護制度を利用できないときは、 NPOなどに相談すれば大丈夫。 ◆なんのために働くのか? なぜ働かないといけないのでしょうか? 「家族を養わないといけないからだよ」 では、もしも独身で養うべき人がいなければ、 働きませんか? 「働きますよ。だって、働かないと、 食えないじゃないですか」 多くの人の答えは、 ここに落ち着くのではないでしょうか。 すなわち、「食うために働く」 「食うために、やりたくないこともやる」 「食うために、嫌な仕事も我慢してやる」 今の仕事は嫌だけど、 やめたら収入がなくなって食えなくなるから、 今の場所で働いている・・・。 ということは、 「食うため」があなたの仕事上のモヤモヤの 発生源だということ。 「食うために働く」ことをやめたら、 モヤモヤは晴れるわけです。 会社勤めをしている人の多くは、 こんなふうに考えていると思います。 「会社は辞めたいですよ。 でも、辞めて食っていける気がしないんですよ。 しょせん自分は、会社にしがみついて 生きていくしかないのかな・・・」 しかし、あなたは本当に、 「食えなくなる」ことを 恐れる必要があるのでしょうか? ◆「やりたいこと」を見つける近道 「やりたいことが分からない」という人がいます。 なぜ見つからないのか? スバリ言うと、 「自分中心に考えているから」です。 そうではなく、 「自分が何をすれば他人が喜ぶだろう?」 という視点で考える。 実は、それが「やりたいこと」を見つける 近道なのです。 ◆自分にウソをつかないこと。 世間の通念や他人の目を気にしないこと。 自分の本音の願望を頭の中で膨らませ、 他人のモノサシではなく自分の本音で生きること。 ◆やりたくないことは、 思い切ってやめてみる。 「我慢」というゴミを捨てれば、 新しい可能性が見えるはず。 ◆「人間は我慢で成長する」というセリフを あなたに言う人がいたら、 その人自身がやりたくないことをやって人生の大半を 浪費してきたからです。 自分の我慢だらけの人生のモノサシを、 あなたに強制しているだけです。 ◆あなたの自己評価を下げる相手は 「ドリーム・キラー」です。 ドリーム・キラーを撃退するいちばんの方法は、 夢を他人に話さないこと。 釈迦が言った「自帰依自灯明じきえじとうみょう」、 つまり「自らを拠り所にする」のです。 ◆他人はあなたの過去しか見ていない 発現者の意図がどうであれ、 他人の意見全部に共通することがある。 それは、 「あなたに何か言う相手は、 昨日までのあなたの過去にもとづいて 話しをしているのだ」 ということです。 ◆本音にフタをせず、 「他人のモノサシ」というゴミを捨て、 心から望むものを求めて生きよ。 そうすれば、本来の能力を発揮できる。 ◆「常識のモノサシ」こそゴミ 会社で出世している方が偉い。 起業して成功している人は偉い。 医者は偉い。 弁護士は偉い。 金持ちは偉い。 恋人がいる方が幸せ・・・ そんな世間に溢れている 「常識のモノサシ」こそゴミです。 ◆あなたは自分なりのモノサシで 自分の価値を計ればよい。 自分のモノサシで自分の仕事ぶりを評価し、 自分のモノサシでワークライフバランスを計り、 自分のモノサシで自分の働き方・生き方を 決めていけばいい。 ◆他人から与えられたモノサシを捨てる。 頭に詰め込まれた「他人」が、 あなたの本来のエネルギーと能力をブロックしている。 ◆自分自身の価値観だと思い込んでいるものが、 実は他者から刷り込まれた価値観であり、 自分のモノサシで生きていると思いながら、 本当は他人から与えられたモノサシで生きるいる。 それがあなたの心の姿なのです。