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時間革命 [4] 1秒もムダに生きるな 【堀江貴文】



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時間革命 [4] 

◆幸福というのは、
努力や成長を積み上げた先にある「点」などではない。

日々のあらゆる時間のなかに横たわっている「線」だ。

そう考えてみると、
「できるかぎりの幸福を目指して頑張る」というのは、
実は矛盾している。

より大きな幸せを追求して頑張るということは、
そのプロセスにおいて苦労や苦痛も
大きくなることを意味するからだ。

だから本当に大切なのは、
幸福量と苦痛量の「分岐点」を
しっかりと見定めることだ。

最終的に得られる幸福と、
途中プロセスで味わう苦痛とを比較したとき、
あまりにも頑張りすぎて、
結果的に苦痛のほうが多くなってしまっては
元も子もない。

逆説的に聞こえるかもしれないが、
人間は幸福を最大化しようと躍起になるほど、
じつは不幸になるようにできているんだ。

では、「より多く」幸せになるために、
何が必要なのだろうか?

それは「食欲・性欲・睡眠欲を満たすこと」・・・
これに尽きる。

本能を満たすことをおろそかにしていないか?

◆努力、成果、お金・・・
そんなものに「働く意味」を求めているかぎり、
あなたの人生は「他人時間」に
食い荒らされて終わっていくだけだ。

現代においては、
仕事はどこまでも趣味的なもの、
自己満足でしかない。

だからこそ、
その価値はただひとつの点・・・
「たのしいか、たのしくないか」にしかない。

だから、
「たのしい仕事」しかしないと考えた方がいい。

「イヤな仕事」「苦しい仕事」はやらないと決める。

なぜなら、すべての仕事は本来、
「やらなくていいもの」だから・・・

◆現代人は、
1日の大部分を仕事に費やしている。

しかし、そんなに働く必要があるだろうか?

食べていくためには仕方がない?

本当にそうだろうか?

贅沢さえ言わなければ、
いまの日本でただ食って生活していくのは、
それほど難しいことではない。

わざわざしんどい仕事を選ぶ必要もないし、
最低限のお金でそこそこの生活ができるだけの
インフラが日本にはある。

どうしても働けないなら、
生活保護という手段もあるし、
農業技術も発達しているから、
自給自足の生活だって不可能ではないだろう。

つまり、現代では、
食べるために働いている人など、
ほとんどいないのだ。

では何のために働いているのか?

単純に言えば、「暇つぶし」である。

かつては、家族やコミュニティが
食い扶持ぶちに困らないように、
全員が汗水垂らして働く必要があった。

しかし、技術革新の結果、
すべての人が働かなくても、
食べるには困らない社会はとっくに実現している。

今後、ロボティクスやAIが発達していけば、
ベーシック・インカム(Basic Income)が導入されて、
私たちの労働からは「食べるため」とか
「稼ぐため」と言った意味は、
ギリギリまで削ぎ取られていくだろう。

◆トリアージ(Triage)

災害や大事故の現場に、
あなたが医師として派遣されたとしよう。

そのとき、
目の前で骨折して苦しむ人を思わず助けてしまう人は、
優秀な医者とは言えない。

必要なのは、
命の危険がある人、
その次に重傷を負った人、
最後の軽傷の人というように治療の
優先順位の仕分け作業を行うことだ。

これをトリアージ(Triage)という。

限られた時間のなかでより高いパフォーマンスを
上げる(より多くの命を救う)ためには、
順序づけが効果的なのである。

これは仕事についても言える。

一つの仕事をまとめてやろうとするのはNGだ。

大きな仕事ほど、
できるかぎり細切れにして、
すきま時間を使いながら
少しずつ進めていくべきである。

「今週いっぱいで片づけよう」とか、
「よし、来月には終わらせるぞ」などと、
仕事を塊のまま放置し、
塊のまま片づけようとすると、
絶対に予定どおりにいかない。

「優先順位+細切れ」を心がければ、
自分のペースをつくりながら
仕事を進めていけるはずだ。

そのリズムを乱す人とは、
なるべく距離を取るのがいちばんだろう。

◆「行動力」などというものは存在しない

「行動力」をより多く持っている人はたくさん行動し、
その「力」がない人はなかなか動けない・・・

そんなふうに考えていないだろうか?

行動力などというものは、
見ることも触ることもできない。

単なる空想の産物である。

存在するのは「個々の行動」だけだ。

そして、たくさんの行動を起こしている人を見て、
私たちは「あの人には行動力があるね」
などという言い方をする。

これはすべての「・・・力」について言えることだが、
「力」というのは、人間が後づけで考えただけの
フィクションであり、
思考停止の産物でしかない。

では、なぜすぐ行動できる人と
そうでない人がいるのか?

その違いを生み出しているのは「情報量」の差である。

その人がどれだけの情報を持っているか、
何をどれくらい知っているかによって、
人間の行動量は規定されているのだ。

だから、「動き続けれられる人」になりたければ、
情報量を増やすさえすればいい。

ごくごく単純な話だ。

「現代は情報過多の時代。
情報が多すぎて逆に動けなくなる」などというのも、
都市伝説の類だと思ったほがいい

そういうことを言っている人にかぎって、
大した情報を持っていない。

「情報洪水」どころか、
中途半端な量の情報に触れて満足しているので、
かえって身動きが取れなくなっているのだ。