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人生は4つの「おつきあい」[2]幸せとは感じる人にだけ存在するもの【小林正観】



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◆幸せとは感じる人にだけ存在するもの

幸も不幸もない、ただ、そう思う「心」があるだけ。

「幸せ」「不幸」という現象は、
宇宙には存在しない。

ある人が「幸せ」と思う出来事も別の人にとっては
「幸せ」とは限らない。

すべての人が指さして「これが幸せだ」
と言えるものなど、
どこにも存在していない。

「幸せ」を感じるのは、
そう思う「心」があるからである。

幸せとは、感じた人にのみ存在するもの。

生まれてからずっと目が見えない人は、
「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、
親の顔を見てみたい」
「結婚した相手の顔を見てみたい」
「子どもの顔を見てみたい」
と思いながら生きているらしい。

私たちは、0.1秒どころか、
生まれてこのかた目の見えないことなどにかかわらず、
目が見えるということに対して、
感謝することなどまずない。

それどころか、
「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」
「これをよこせ」
と現状に対して不満ばかり口にしている。

私たちは小さい頃から、
足りないものをリストアップして、
それを手に入れなければ幸せになれないと
教え込まれている。

そのように洗脳されている。

それを、「夢と希望に満ち溢れた生活」という。

いま自分が置かれている状況をただ「ありがたい」
と思って生きる。

「自分がいかに恵まれているか」
「自分がいかに幸せか」
「自分がいかにありがたい状況に生きているか」
ということに気づいたら、
「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」
の「五戒」など口から出でこないはず。

願いがかなったら、
望んだものが手に入ったら感謝する、
というのは、本当の感謝ではない。

何も要求することなく、
不平不満を言うこともなく、
いま目の前にあるものをありがたく味わう。

それこそが、本当の「感謝」なのだ。

人は、自分がいかに幸せな状況のなかで
生きているのか気がつかない。

それは、海で泳いている魚が、
自分が海の水に囲まれて生きていることに
気がつかないのと同じである。

私たちが「幸せ」を感じるためには、
その前に一般的には「つらい、苦しい、大変」
といわれる状況が起こる。

そういう構造になっているらしい。

それは、時計の振り子に例えると分かりやすい。

真ん中から右側が、一般的にいう「不幸」、つらい、
悲しいと感じる領域。

一方、左側に行けば、いわゆる「幸せ」
だと感じる領域。

そのことに気づいたら、
私たちはつらいこと、
苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、
一喜一憂せずに、振り子が左側に振るときを信じて、
平静な心でいられるかもしれない。