◆散るときには散る、だからいまを輝いて生きる 春になると桜は枝いっぱいに花を咲かせる。 そして数日私たちの目を楽しませてくれたあと、 美しい花吹雪になって散っていく。 私たちはつい、 「この風が吹かなければ花は散らなかったのに」 「雨が降ったから散ってしまった」 などと言って嘆く。 でも、本当にそうなのか? 花は自ら散る時期を、 自分で決めて咲いているのではないか? 良寛和尚の歌に次のようなものがある。 散る桜 残る桜 散る桜 この歌は、生と死、変化と永遠性、 瞬間の美しさについての深い哲学的な テーマを含んでおり、 シンプルな言葉でそれらを表現している。 未熟な私たちには、 「風が吹いたから」「雨が降ったから」 桜が散ってしまったように見える。 しかし、物事の本質を見る目をもっている人は、 「風のせい」にも「雨のせい」にもしない。 その風が吹かなくても、 その雨が降らなくても、 来るべきときがきたら、 花は散っていく。 自らの「プログラム」どおりに。 自らの「プログラム」に添って散っていくのは、 花だけでなく、人間も同じ。 病気と戦って打ち克ったら長生きできる、 戦わなかったら早死にしてしまう、 と西洋医学では教えている。 でも、治療するかしないか、 いつ死ぬかまで、 この世に生まれてくるときに 自分が書いてきたシナリオどおりなのだ。 だから、「あのとき10分早く救急車が来ていれば 助かったのに」とか 「自分が誘わなければ事故に遭わなかったのに」 などと悩む必要はない。 生きるのも死ぬのも、 すべては「自分で決めて」生まれてきているのだ。 誰でも、死ぬときがくれば死ぬ。 しかし、そのときがくるまでは、 いくら死にたくても死ぬことはできない。 だから与えられた時間を、 楽に楽しみながら、 淡々と生きていけばよい。 いま、目の前にいる人を大切にすること。 笑顔とやさしい言葉を贈ってあげること。 出会ったすべての人を味方にしていくこと。 そして、人から頼まれやすい、 神さまに好かれる、 「喜ばれる存在」であること。 人生とは、 幸せそのものなのだ。 ちなみに、 このような生き方は 哲人「中村天風」さんの生き方とは 少し違うように思う。 どのような生き方を選ぶかは人それぞれ・・・