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教養を磨く [3] 【田坂広志】



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◆「不運」の姿をした幸運

中国の前漢時代の書「淮南子えなんじ」に
「塞翁さいおうが馬」の故事がある。

この故事は、人生の幸運と不運は
人智では分からない 、との教えでもある。

これは、良く知られた故事であり、諺でもあるが、
同様の諺に「禍福かふくあざなえる縄の如し」
というものもある。

この言葉は、幸運と不運は交互にやってくるという
人生のことわりを教えている。

様々な順境も逆境も体験して感じる人生の理は、
むしろ、次の言葉である。

「幸運は、不運の姿をしてやってくる」

こうした体験を持っているのは、
特定の人だけではないだろう。

おそらく、多くの方々も、不運に見えた出来事が、
実は、幸運であったという体験を、
いくつも持たれているのではないだろうか。

例えば、人生で与えられた苦労や困難、
失敗や敗北、挫折や喪失、病気や事故など、
様々な逆境を振り返るとき、
「あの苦労のお陰で、大切なことを学べた」
「あの失敗のお陰で、成長することができた」
「あの挫折のお陰で、この道へと導かれた」
といった深い感情を抱く人は、
決して少なくないだろう。

こうした体験を通して「人生の解釈力」
と呼ぶべき力を身につけることができるだろう。

この「解釈力」とは、
人生で、いかなる苦労や失敗や挫折が与えられても、
それを
「この苦労は、何を学べという天の声なのか」
「この失敗は、どう成長せよという声なのか」
「この挫折は、どの道を歩めという声なのか」
と前向きに受け止め、
その逆境を肯定的に解釈する力のことである。

そして、実は、この「逆境を肯定的に解釈する力」、
それこそが、「不運」に見える出来事を「幸運」
へと転じていく力に他ならない。

一方、我々に、その「解釈力」が無ければ、
人生の逆境を前に、
「なぜ、こんなことが起こったのか」
「なぜ、こうした不運が降りかかったのか」
「なぜ、自分は、いつも不運なのか」といった
後ろ向きの想念、
否定的な想念に心が支配され、
目の前の問題に正対して取り込む力は生まれてこない。

◆「明日、死ぬ」という修行

経営の世界において、
昔から語られてきた一つの格言がある。

経営者として大成するには、
3つの体験の、いずれかを持たねばならぬ。
戦争か、大病か、投獄か。

なぜか?

それは、「生死の体験」を通じて、
人間は、「死」というものを直視し、
深い「死生観」を掴むからである。

では、「死生観」を掴むとは、いかなることか。

それは、人生における3つの真実を
直視することである。

1: 人は、必ず死ぬ
2: 人生は、一度しかない
3: 人生は、いつ終わるか分からない

その3つの真実である。

では、なぜ、この3つの真実を直視することが、
経営者にとって、大成への道となるのか。

その理由は、その直視によって、我々に、
3つの力が与えられるからである。

1: 人生の「逆境力」が高まる
2: 人生における「使命感」が定まる
3: 人生の「時間密度」が高まる

では、この深い「死生観」を掴むためには、
戦争や大病や投獄の体験が不可欠なのか。

実は、そうではない。

我々に問われるのは、
「人は、必ず死ぬ」「人生は、一度しかない」
「人生は、いつ終わるか分からない」
という3つの真実を、
覚悟を定め、直視することができるか否かである。

もし、我々が、本気で、「明日死ぬ」の修行を
するならば、日々の風景が変わる。

そして、人生が、変わる。