Liberal Arts {Article502}

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山岡鉄舟 修養訓 [2] 【平井正修】



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◆自由な心で向き合う

こだわりを捨てて自分の心を自在にすることによって
自然に勝ちを得る。

水は四角い器に入れれば四角になるし、
丸い器に入れれば丸くなる。

そこにはわずかな隙間もできない。

ところが、
同じ水でも固まって氷になってしまうと隙間ができる。

我々の心も同じようなもので、
「こうあるべきだ」というこだわりが勝ちすぎると、
それに捉われて自在さが失われていく。

◆極意を得るために必要なこと

剣法の極意を会得えとくするのに特別な道はない。
努力を積み重ねていくのみである。

人間は辛いと逃げたくなる。

けれども、辛いときこそ正面からどれだけそのことと
向かい合っていけるのかが大切なのだ。

それが結局、
極意を得ることができる人と
できない人の差になっていく。

◆学びを実践する(冷暖自知)

水が冷たいか温かいかを知りたければ、
実際に飲んでみればよい。

我々は本を読んだり人の話を聞いたりして学ぶ。

すばらしい本を読み、
すばらしい話を聞くと、
感動して何か自分がステップアップ
したような気になる。

しかし、それは勘違いだ。

その瞬間は確かに感動したとしても、
それだけでは人が成長するものではない。

古典の名言をいくら覚えても、
それだけでは賢くならないのと同じことだ。

大切なのは、感動した言葉、
感動した話をどのように自分の日々の生活に取り入れ、
生かしていくのかということ。

自ら体験することによって、
その言葉の意味を「こういうことだったのか」
と自覚していかなければなんにもならない。

これを「冷暖自知れいだんじち」と言う。

◆刀には心が映っている

相手と剣を交えるときは刀に惑わされてはいけない。

心と心の勝負だと思え。

これは無刀流という流派の名前の
由来ともなった言葉である。

刀には心が映っているという。

相手が強いと思ったらおびえたり恐怖を覚えたり、
相手が弱いと思ったら舐めてかかったりというように、
人間のあらゆる心の動きがそのまま刀に写し出される。

◆とかく我々は事を一生懸命磨けば、
理は放っておいてもついてくると思っている。

「あの人は苦労人だ」という言葉があるけれど、
これは暗に「あの人は苦労しているから
人間ができている」といっているわけだ。

実際はどうだろう。

いくら苦労したとしても人間ができるとは限らない。

それどころか苦労したからこそへそが
捻じ曲がったような人もたくさんいる。

だから一概に苦労すればいいというものではない。

苦労しようがしまいが、
人間を練り上げるためには心の修養が欠かせない。

そのためには苦労や厳しい練習とは
全く別個な修養が必要なのだ。