◆自由な心で向き合う こだわりを捨てて自分の心を自在にすることによって 自然に勝ちを得る。 水は四角い器に入れれば四角になるし、 丸い器に入れれば丸くなる。 そこにはわずかな隙間もできない。 ところが、 同じ水でも固まって氷になってしまうと隙間ができる。 我々の心も同じようなもので、 「こうあるべきだ」というこだわりが勝ちすぎると、 それに捉われて自在さが失われていく。 ◆極意を得るために必要なこと 剣法の極意を会得えとくするのに特別な道はない。 努力を積み重ねていくのみである。 人間は辛いと逃げたくなる。 けれども、辛いときこそ正面からどれだけそのことと 向かい合っていけるのかが大切なのだ。 それが結局、 極意を得ることができる人と できない人の差になっていく。 ◆学びを実践する(冷暖自知) 水が冷たいか温かいかを知りたければ、 実際に飲んでみればよい。 我々は本を読んだり人の話を聞いたりして学ぶ。 すばらしい本を読み、 すばらしい話を聞くと、 感動して何か自分がステップアップ したような気になる。 しかし、それは勘違いだ。 その瞬間は確かに感動したとしても、 それだけでは人が成長するものではない。 古典の名言をいくら覚えても、 それだけでは賢くならないのと同じことだ。 大切なのは、感動した言葉、 感動した話をどのように自分の日々の生活に取り入れ、 生かしていくのかということ。 自ら体験することによって、 その言葉の意味を「こういうことだったのか」 と自覚していかなければなんにもならない。 これを「冷暖自知れいだんじち」と言う。 ◆刀には心が映っている 相手と剣を交えるときは刀に惑わされてはいけない。 心と心の勝負だと思え。 これは無刀流という流派の名前の 由来ともなった言葉である。 刀には心が映っているという。 相手が強いと思ったら怯おびえたり恐怖を覚えたり、 相手が弱いと思ったら舐めてかかったりというように、 人間のあらゆる心の動きがそのまま刀に写し出される。 ◆とかく我々は事を一生懸命磨けば、 理は放っておいてもついてくると思っている。 「あの人は苦労人だ」という言葉があるけれど、 これは暗に「あの人は苦労しているから 人間ができている」といっているわけだ。 実際はどうだろう。 いくら苦労したとしても人間ができるとは限らない。 それどころか苦労したからこそ臍へそが 捻じ曲がったような人もたくさんいる。 だから一概に苦労すればいいというものではない。 苦労しようがしまいが、 人間を練り上げるためには心の修養が欠かせない。 そのためには苦労や厳しい練習とは 全く別個な修養が必要なのだ。