Liberal Arts {Article503}

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山岡鉄舟 修養訓 [3] 【平井正修】



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◆自分の中にいる敵に勝つ

仕事でも勉強でも
ギリギリにならないとやらない人がいる。

ギリギリになると余裕がなくなって、
火事場の馬鹿力じゃないけれど
普段とは違うパワーが出る。

そういうふうに時間の制約をかけながら
やっていくのも隙をつくらない一つの方法ではある。

しかし、こういうのはたいがい
意図してやっているわけではないから、
「もう少し前から余裕を持って
始めていればもっといろいろ調べることもできたのに」
と後悔する場合が多い。

だが、そう思いながらも、
次もまたこの火事場の馬鹿力
みたいなものに頼ってしまう。

そう考えると、「敵」は
何も敵対する相手だけを指すのではない。

自分の中にいる「敵」でもあるわけだ。

その敵に負けないようにするためには
心の鍛錬が必要だ。

◆世界の中心に自分を置く

雪は別の場所に落ちるわけではない。
常に自分のいる場所に落ちてくる。

人間がだめになっていくというのは、
最初に何か自分の意に沿わないような
他からの原因があるのかもしれない。

だが、そこから落ちていくのは自分のせいだ。

たとえば極貧の家に生まれたというような、
自分の力ではいかんともし難い試練を
誕生の瞬間から味わう人もいるだろう。

その試練は確かに自分のせいではない。

しかし、
それを「自分はこういう生まれだからだめになった」
という言い訳にするのは自分だろう。

貧しい家に生まれた
すべての人が雪崩式に落ちていくわけではない。

這い上がっていく人もたくさんいるし、
這い上がれなくても踏みとどまる人もいる。

そういう人がいる中で
落ちてしまうというのは自分のせいである。

人間万事塞翁が馬というが、
いったい何がよくて何が悪いのは
すぐにはわからない。

結局のところ、
自分の意に沿わない、
自分の力ではどうしようもないことは
まずは受け入れるしかない。

受け入れた上で、
そこからどうするのかは自分次第である。

できることならば、
それを言い訳とせず、
自分のいる場所が
常に中心なのだと思えるような
生き方をしていきたいものだ。

◆自分にこだわるから敵が生まれる

自分というものをつくれば自ずと敵が出てくる。
自分がなければ敵もいない。

自分という固定したものをつくってしまうと、
そこに対立する相手が生まれる。

自分が絶対に正しいと思うと、
必然的に相手が間違っていると思うようになる。

大なり小なりそういうことが
常に起こり得るということを、
心に留めておかなくてはならない。