◆自分を相手に生きる たとえ世間が時代遅れだとして剣道を廃止し、 手合わせをする相手が一人もいなくなったとしても、 私はこの道をきわめるまでは 決してやむことなく奮起して、 修行を怠らないことを心に誓っている。 今はどんな道でもありそうに見える。 自由にやっていいといわれるから なんでもできそうな気にもなる。 しかし、 実際はそれほど多くの道があるわけではない。 最後には1本の道を選ばなくてはいけない。 その選択をするためには、 結局、何をどうしたいのかを 自分自身に問いかけるしかないのだ。 我々はどうしても自分より相手を見てしまう。 しかし相手を見ている限り、 自分が相手によって 上がったり下がったりすることになる。 そうならないようにするためには、 まず自分の心に自分の生き方を問いかけて、 自らの生き方を確立していく必要がある。 ◆怠ることなく続ける 先人はいっている。 何事であれ一所懸命勤めることだ。 一所懸命勤めれば必ずその極に至る。 だから学ぼうとする人は決して怠らないことだ。 たとえ持って生まれたものがあったとしても、 努力をしなければ、才に磨きがかかることはない。 逆に、何も持っていなかったとしても、 怠らず勤めていけば 必ずその極意に到達することができる。 人間というのは 一所懸命何か一つに集中しているときは、 辛いとか辛くないとか、好きとか嫌いとか、 そんなことは関係なくなっている。 剣であれ、禅であれ、勉強であれ、 理想は一日中そういう状態になることだろう。 能の「花伝書」には能の道の稽古をするなら 最初の何年間かは 能以外のことはするなと書いてある。 確かに何かをやろうと思ったら 徹底的に集中する時間は欠かせない。 ◆実地と理論を一致させる 無刀流の剣法は、 技と心が一致するように 修行することを第一とする。 ここの「事理じり」は技と心ともいえるし、 技と理論、実地と理論といってもいい。 そういうものを一致させるのが 無刀流の修行の第一の目的である といっているのである。 これは剣だけの話ではなく、 どんな世界にも当てはまる。 事と理を一つにするためには、 どちらも共に学ばなくてはならない。 それがピタッと一つになったところが 一番大切なのだ。