Liberal Arts {Article506}

ようこそ「リベラル・アーツ」へ...

山岡鉄舟 修養訓 [6] 【平井正修】



【動作環境】iPhone[○], Android[○], Windows{Microsoft Edge[○], Google Chrome[○]}
◆自分を相手に生きる

たとえ世間が時代遅れだとして剣道を廃止し、
手合わせをする相手が一人もいなくなったとしても、
私はこの道をきわめるまでは
決してやむことなく奮起して、
修行を怠らないことを心に誓っている。

今はどんな道でもありそうに見える。

自由にやっていいといわれるから
なんでもできそうな気にもなる。

しかし、
実際はそれほど多くの道があるわけではない。

最後には1本の道を選ばなくてはいけない。

その選択をするためには、
結局、何をどうしたいのかを
自分自身に問いかけるしかないのだ。

我々はどうしても自分より相手を見てしまう。

しかし相手を見ている限り、
自分が相手によって
上がったり下がったりすることになる。

そうならないようにするためには、
まず自分の心に自分の生き方を問いかけて、
自らの生き方を確立していく必要がある。

◆怠ることなく続ける

先人はいっている。

何事であれ一所懸命勤めることだ。
一所懸命勤めれば必ずその極に至る。

だから学ぼうとする人は決して怠らないことだ。

たとえ持って生まれたものがあったとしても、
努力をしなければ、才に磨きがかかることはない。

逆に、何も持っていなかったとしても、
怠らず勤めていけば
必ずその極意に到達することができる。

人間というのは
一所懸命何か一つに集中しているときは、
辛いとか辛くないとか、好きとか嫌いとか、
そんなことは関係なくなっている。

剣であれ、禅であれ、勉強であれ、
理想は一日中そういう状態になることだろう。

能の「花伝書」には能の道の稽古をするなら
最初の何年間かは
能以外のことはするなと書いてある。

確かに何かをやろうと思ったら
徹底的に集中する時間は欠かせない。

◆実地と理論を一致させる

無刀流の剣法は、
技と心が一致するように
修行することを第一とする。

ここの「事理じり」は技と心ともいえるし、
技と理論、実地と理論といってもいい。

そういうものを一致させるのが
無刀流の修行の第一の目的である
といっているのである。

これは剣だけの話ではなく、
どんな世界にも当てはまる。

事と理を一つにするためには、
どちらも共に学ばなくてはならない。

それがピタッと一つになったところが
一番大切なのだ。