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武器になる哲学〔4〕公正世界仮説【山口周】



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◆公正世界仮説【メルビン・ラーナー】

「見えない努力もいずれは報われる」の大嘘

日の当たらない場所であっても、
地道に誠実に努力すれば、
いつかきっと報われる、
という考え方をする人は少なくない。

つまり、
「世界は公正であるべきだし、実際にそうだ」
と考える人。

このような世界観を、
社会心理学では「公正世界仮説」と呼ぶ。

公正世界仮説の持ち主は、
「世の中というのは、
頑張っている人は報われるし、
そうでない人は罰せられるようにできている」
と考える。

このような世界観を持つことで、
例えば、「頑張っていれば、
いずれは報われる」と考え、
中長期的な努力が喚起されるのであれば、
それはそれでよいことかも知れないが、
実際の世の中はそうなっていない。

このような世界観を頑なに持つことは、
むしろ弊害の方が大きい。

「努力は報われる」と主張する人たちが
よく持ち出してくる根拠の一つに
「1万時間の法則」というのがある。

この法則はマルコム・グラッドウェルが、
著書「天才!成功する人々の法則」
の中で提唱した法則で、
大きな成功を収めた音楽家やスポーツ選手はみんな
1万時間という気の遠くなるような時間を
トレーニングに費やしているというもの。

グラッドウェルの主張はシンプルで、
「何かの世界で一流になりたければ、
1万時間のトレーニングをしなさい。
そうすれば、あなたは必ず一流になれますよ」
という。

同書の中に示されている法則の論拠は、
一部のバイオリニスト集団、
ビル・ゲイツ(プログラミングに1万時間熱中した)、
そしてビートルズ
(デビュー前にステージで1万時間演奏した)
については、この法則が観測されたというだけで、
非常に脆弱である。

プリンストン大学のマクナマラ准教授の論文によると、
各分野について「練習量の多少によって
パフォーマンスの差を説明できる度合い」
を紹介している。

テレビゲーム:26%
楽器:21%
スポーツ:18%
教育:4%
知的専門職:1%以下

この数字を見ればグラッドウェルの主張する
「1万時間の法則」が、
いかに人をミスリードしているかがわかる。

「努力は報われる」という主張には
一種の世界観が反映されていて非常に美しく響く。

しかし、それは願望でしかなく、
現実の世界はそうではないことを直視しなければ、
「自分の人生」を有意義に豊かに生きることは難しい。

いたずらにこの仮説に囚われると、
やってもやっても花開くことのない
「スジの悪い努力」に人生を浪費してしまいかねない。

「置かれた場所で咲きなさい」という書籍があるが、
本書なども私たちをミスリードする可能性がある。

公正世界仮説には、別の問題もある。

それは、この仮説に囚われた人は、
しばしば逆の推定をする。

つまり「成功している人は、
成功に値するだけの努力をしてきたのだ」と考え、
逆に何か不幸な目にあった人を見ると
「そういう目に遭うような原因が本人にもある」
と考えてしまう。

いわゆる「被害者非難」「弱者非難」
と言われるバイアス。

例えば日本にも
「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」
「自分で蒔いた種」など、
弱者非難に繋がることわざがある。

さらに「努力は報われる」という
公正世界仮説に囚われると
「社会や組織を逆恨みする」
ということにもなりかねない。

世界は公正ではない。

そのような世界にあってなお、
公正な世界を目指して闘っているというのが
私たちに課せられた責務である。

人目につかぬ努力もいずれは報われるという考え方は、
人生を破壊しかねない。