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ツキの方程式〔5〕運の良い人は勇気がある【マックス・ギュンター】



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◆「幸運は勇者に味方する」
これは古代ローマの格言だ。

一見すると、
まったく無意味な言葉のようにも思える。

運命の女神は、
ときとして勇気ある人に微笑む。

しかし、勇気ある人に徹底して辛くあたることもある。

「冒険しなければ怪我もしない」と
正反対のことを言う人もいるが、
これも同様に真実をついているように思える。

一つ重要な事実がある。

それは、「運が良い」といわれる人の多くが、
「勇気ある人」だということだ。

一部に例外はあるとはいえ、
だいたいにおいて「臆病な人ほど運が良くない」。

なぜか?

まず言えるのは
「運が良い人は勇気を持てる」、
つまり、運の良さが勇気を生むということだ。

今まで幸運が続いてきて、
恵まれた境遇にいるなら、
一度失敗したくらいで
何もかも駄目になったりはしないだろう。

しかし、
一回の失敗で立ち直れなくなりそうな境遇の人に、
一か八かの賭けはなかなかできない。

また、この逆のことも言える。

「幸運は勇者に味方する」という格言も、
これとほぼ同義だと言える。

では、勇気ある人になって運を良くするには、
具体的にどうすればよいのだろう。

そのためには、
次に述べる「3つのルール」を守る必要がある。

●ルール1:常にチャンスに目を光らせる

バージニア工科大学の哲学教授である
チャールズ・カードウェル博士は、
人生における運の役割について長年研究してきた。

博士は、「運(luck)」と「運命(fortune)」
は違うと言っている。

「人は日頃、何気なく『運が良ければ』
という言い方をします。

しかし、もし『運』という言葉が
『偶然に起きる出来事』という意味なのだとしたら、
それを自分の力で『良くする』ことはできません。

偶然の出来事は誰にもだいたい平等に起きるもので、
自分でそれを操作することはできないのです。

自分が何をどうしようが、
勝手に起きるでしょう。

でも、運命ならば自分の力で切り開くことができます。

偶然に起きる出来事を常に注視して、
それを賢く生かしていけば、
運命を良い方向に導くことは可能なのです」。

そして、偶然の出来事を生かすときに
何より大事なのが「勇気」だという。

勇気がなくて偶然の出来事を生かせず、
幸運をつかめない人にならないためには、
次の「第2のルール」を守る必要がある。

●ルール2:勇気と向こう見ずの違いを見極める

創業したばかりの、
いつ失敗して倒産するかわからない会社に
全財産を投じるのは、勇気ではなく「向こう見ず」
と言うべきだろう。

だが、自分の今まで歩んできた道から外れて
未知の世界に踏み出す、
というのは必ずしも向こう見ずとは言えない。

たとえば、転職の誘いを受けたときに、
怖いけれど思い切って受けてみるのは、
向こう見ずとは言えないだろう。

将来性が未知数の新興企業に投資することは、
それ自体悪いことではなく、
そこから得られるものも多いはずである。

だが、リスクを背負う覚悟は必要だ。

一方、転職の誘いの場合は、
得るものは大きいだろうし、
何か失うものがあったとしても、
新興企業への投資に比べればずっと小さいに違いない。

人がときどき不必要に臆病になってしまうのは、
この区別がついていないからだ。

転職して失うものなんて、
たかが知れているでしょう?

アブラハム・ワインバーグ博士は、
「自分を不運だという人の多くは、
非常に『受け身』な人たちです」と言う。

「運の悪い人たちは、
チャンスを生かすべく
自ら積極的に動くようなことはなく、
ただ起きた出来事にそのまま
身をまかせてしまいます。

変化を恐れる人が多く、
ときには、
まったくリスクのない変化でさえ嫌がります。

ともかく、状況が変わることが嫌なのです。

客観的に見て何も害がなくても、
変わるというだけで嫌悪するのです。

リスクが実際にどのくらいなのか、
よく確かめずに、
即座に『そんなギャンブルみたいなことはできないよ』
と拒否してしまう。

しかし、実はギャンブルでも何でもない。

ただ、自分が馴染んでいる場所に居続けたくて、
言い訳をしているのです」

恐怖にかられ、その恐怖心から、
勇気ある挑戦を「軽はずみな行動」と言ってしまう。

それはよくあることだ。

自分が何も行動しないことに対する
言い訳の言葉として、
これほど素晴らしいものはない。

この言葉を使えば、
反論してくる人はほとんどいない。

こう言うだけで、
分別のある人のように見えるのだ。

運をよくしたい人は、
自分のしようとしていることが
「勇気あること」なのか「軽はずみ」
なのかをよく見極める。
    
しつこいくらい自分に問う。

前に進むのが怖いと思ったときは、
曇りのない目で状況をよく見なくてはならない。

「軽はずみ」という言葉を、
単に小さな一歩を踏み出す勇気がないことの
言い訳に使っていた、
とわかることもある。

運命の女神は、
臆病も向こう見ずも好きではない。

運命の女神は、
勇気ある人が好きなのだ。

勇気ある人は、自らを律し、
臆病にも向こう見ずにもならず、
その中間の姿勢を貫く。

また、そのほうが成功の可能性が高いと思えば、
思い切って途中で進路を変えることも厭わない。

●ルール3:情報が十分でなくてもまずは一歩踏み出す

大事なのは「いちかばちか」に賭けるのではなく、
間違いのない予測をするため、
可能な限り情報を集めることだ。

どんな場合でも、
まずは情報を集め、
慎重に検討する。

そのあとで、
思い切って前に出るか否かを決断するのだ。

ただし、常に十分な情報が得られる保証はない。

自分がどんなに知りたいと思っても、
すべてを知ることはまず不可能だ。

情報を集めること、
慎重に検討することは大事だが、
ある時点でやめなくてはいけない。

考えすぎて決断が遅れれば、
何も得られなくなる。

「ある時点」を過ぎても行動を起こさず、
「調べている」、「考えている」と言い続けるのは、
もはや言い訳である。

「今、動くのは向こう見ずだ」と言って何もしないのは、
単に臆病なだけだ。

成功者に迷信深い人は多いというのは、
明白な事実のようである。

このことは、
少なくとも二通りに解釈できる。

まず一つは、
占星術や降霊術には本当に人を幸福にする効力がある、
という解釈である。

もう一つの解釈は、
占星術や降霊術自体に効力があるとは考えないが、
先の見えない恐怖・不安から決断ができないときに
一歩を踏み出す手助けをしてくれている、
というものだ。

自分の背中を自分で押すための道具としてちょうどいい、
というわけである。

運が良い人の多くが迷信に頼っているという現象は、
簡単に説明できる。

本人はそう意識していないかもしれないが、
彼らは、自分に一歩を踏み出させるための助けとして
迷信を利用しているのだ。

迷信によって決断力を高めていると言ってもいい。

迷信は、
情報が足りないときの決断の助けになるだけではない。

「自分の決断は正しい」という確信を強めてもくれる。

正しいという確信があれば、決断の結果、
どんなことが起ころうと対処していこうという
気になる。

つまり、いずれにしろ勇気が出るということだ。

その気になれば合理的な判断が十分可能なのに、
迷信に頼ってしまったら、
それは当然害になる。

だが、そうでない限り、
迷信には害はないのだ。

普通の状況ならば、
あくまで合理的にものを考え、
できる限りの努力をすべきである。

最大限に力を尽くして、
もうほかに何もできることはないというとき、
はじめて迷信に頼ればいい。

考えられる手をすべて打った、
そのあとを引き継ぐのが迷信なのだ。

まさに「神は自ら助くる者を助く」である。