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マネーの公理〔4〕強欲について【マックス・ギュンター】



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◆我々の社会では、
はっきりとした始めと終わりがある
ゲームがいろいろある。

たとえば、陸上競技では、
ランナーは、1マイルのレースを走り終えたとき、
そこがゴールだと知っている。

すべてのエネルギーは、1マイルで使い果たされる。

ゴールのテープが切られ、
勝者は記録に名を残す。

すべて終わりだ。

ランナーはレースをやめて休み、
次のレースのために新たなエネルギーを補給する。

ギャンブルや投機の世界には、
そのような明らかなゴールは存在しない。

ほとんどの投機では、
終わりは自分で決めなければならない。

終わりを決めることは本当に難しい。

ほとんどの人は、
そのコツをつかむことができない
(ほとんどの人が、実際に、
その必要性さえ認識できない)。

しかし、これはマスターしなければならない
テクニックである。

良い投機家にとって不可欠な知識の一つなのだ。

終わりというのは、
ポジションを手仕舞い、
安堵のため息をつき、
そして束の間のリラックスするときである。

レースが終わったランナーのように、
あなたはトラックの端にある芝生にごろりと横になる。

そして思う。

「ああ、終わった。やるべきことはやった・・・」

しかし、ゴールのテープもなければ、
ラウンドの終わりを伝える鐘の音もないような
世界において、どうやったら、
明確に終わらせることができるのだろうか。

あなたが、金(ゴールド)に投資したとしよう。

こうした投機は、
あなたが予測できる範囲の将来において
「終了」するようなレースではない。

このようなレースには期限がない。

一定の時間や一定の距離があるわけでなく、
いつ戦いを終了して芝生に寝転んでいいか
教えてくれる審判や審査員もいない。

自分で、自分だけで決めなければならない。

あなたが自分自身で終わりを告げない限り、
レースは終わらないのだ。

公理は、この終わりにどう到達するかを教えるものだ。

レースを始める前に、
ゴールがどこかを決定する。

これなら手仕舞うのが簡単になるだろうか。

いいや、もちろん簡単にはならない。

しかし、レースに終わりがないという
覚悟で毎回投機を始めるよりも、
ずっと気が楽になる。

前出の金(ゴールド)の話に戻ってみよう。

あなたは1000ドル持っていて、
金の投機に感心がある。

自分自身にこう言う。

「これに投資しよう。目標は・・・」。

目標は何でもかまわないが、
大げさな金額にはしてはいけない。

控え目がいい。

たとえば、2年で倍にして2000ドルにする、
あるいは、1年で1500ドルに増やすとか。

それがゴールだ。

レースの間、
このことをしっかりと覚えていなければならない。

そして、ゴールに達したら、やめるのだ。

終わったことを自分に納得させるための優れた方法は、
何かしらの褒美を設けることだ。

一番高級なレストランに行き、
桁外れに高い食事を食べることだっていい。

そうすれば、投機の終わりは、
楽しみを伴うものになる。

実際に、ベテランを含む多くの投機家は、
こうした心理的な戦術を使っている。

◆あらかじめどれだけの利益がほしいのかを
決めておけ。そして、
それを手に入れたら投機から手を引くのだ。

「十分とはいくらか?」

この問いがなぜ困難なのかと言えば、
我々が強欲だからである。

持てば持つほど、
さらに欲しくなる。

人間とはそういうものだ。

しかし、多くの人、
いや、おそらくはほとんどすべての人にとって、
強欲に対処するのを困難にしている
もう一つの理由がある。

それは、投機が成功して富が増えると、
すべてのポジションが新しいポジションのように
感じられるという、
奇妙な事実だ。

たとえば、1000ドルからスタートする。

銀の信用取引に投資するとしよう。

予想が正しく、1年後に2000ドルになった。

お金を倍にしたのだ。

すると、自分には資格があってその利益を
手にしたと感じるようになる。

とくに、短期間ではなく、
1年を通してゆっくりと
利益を積み重ねてきたのだったら、
その利益が当然のように思えてしまう。

「お金を倍にしたぞ」とか
「1000ドルも儲かったぞ」という代わりに、
以前から2000ドルを持っていたように感じるものだ。

あなたは、
この2000ドルでポジションを
手仕舞うべきだと思わない。

まるで新しく始めるポジションのように感じるのだ。

そのために、
自分自身をこの投機から解放するのが困難になっていく。

あなたがこの問題に直面するときに備えて、
どう対処するかを学ばなければならなのだ。

◆恐怖は、
きわめて当たり前の心理であり、
とりわけ株式市場では強く作用する。

「売った株式の株価を決してチェックしてはいけない」
と、ウォール街の古い教えは言っている。

この警告は、お金儲けを助けるためのものではなく、
単に、嘆きの発作からあなたを守るためのものだ。

ウォール街が「置いてきぼりの憂鬱」と呼ぶ病気は、
株式投機家が耐えなければならない
あらゆる病気の中で、
最も痛みの強いものの一つである。

◆公理は、
常に早すぎるほど早く利食えと言っている。

なぜ、早すぎるほど早くなのか?

それは、一連の勝利の出来事がピークに達する前に
現金化する必要があることを意味している。

一連の勝利から、
最後の1ドルまで搾り出そうとしてはいけない。

そんなことは、めったにできることではないのだから。

その勝利がまだ長く続く可能性や
後悔の可能性など心配する必要はない。

後悔を恐れてはいけない。

ピークがわからないなら、
ピークがまだ先だと考えるのではなく、
近いと考えなければいけない。

利益を確定して、立ち去るのだ。

◆ギャンブルや投機をしていると、
時々大きな幸運がおとずれ、
それが続けざまに起こることがある。

それはとても楽しく、
一生乗っていたいと思う。

疑いなく、あなたは、
それが一生は続かないことを
理解する分別を持っているが、
強欲にとらわれてしまうと、
それがもうしばらく、
もう少しだけ続くと期待したり、
自分をそう信じ込ませようとする。

そして、あなたはそれに乗り続ける。

最後に、あなたは転げ落ち、
お金は消え失せる。

勝利がどのくらい続くかは前もってわからない。

長く続くかもしれないし、
次の瞬間に終わってしまうかもしれない。

では、どうすればいいだろうか?

あなたに勝利をもたらしている一連の出来事は、
短期的なもので、
利益が途方もなる大きくなることはないと
考えるべきだ。

常に少額を賭け、素早く降りる。

強欲に支配されてはいけない。

適当な利益が出たら、
現金に換えて、立ち去るのだ。

◆強欲とは、過剰な欲望、
常にもっと多く欲しがることを意味している。

自分が当初望み、
期待することが許された以上に
望むことを意味している。

それは、
自分の欲望のコントロールを失うことを意味している。

強欲は欲望の膨らみすぎた、
自己破壊的な従兄弟いとこである。

地球上のすべての動物は、
本能的に食べ物、寝る場所、
自己防衛の手段を獲得しようとするが、
我々の望みも、
少しばかり複雑なものであるということ以外、
ほかの創造物と何ら変わるものではない。

そうした習性を恥じる必要はない。

生き残るために必要な素養の一部にすぎないのだ。

しかし、ひとたび欲望が狂い、
それが満たされなければ我慢できないほどに
なってしまうと、それは強欲である。

恐ろしく、憎むべきものである。

投機家の敵である。

◆ギャンブルのアマチュアは
だらだらとゲームに長くとどまり、
そして損をする。

その原因は強欲である。

もし、強欲を克服し、自己管理できれば、
富を求めて争っている99%のライバルたちより
優れた投機家になれるだろう。

しかし、成し遂げるのは難しい。

強欲は人間の心理に組み込まれている。

我々のほとんどは、かなり強欲だ。

説教を聞くことや、
自分自身を説教することによって、
強欲を克服することはできない。

より現実的で、
効果が期待できる方法は、
欲望を抑えることによって
金持ちになるチャンスが増えるという、
公理を理解することだ。