◆小さな損失は人生の現実として甘んじて受けよ。 大きな利益を待つ間には、 何度かそういう経験をすると考えろ。 理想的には、 小さな損失を喜んで受け入れるべきである。 小さな損失は、 大きな損失から我々を守ってくれるからだ。 小さな損失を受け入れる習慣を見につけよう。 もし、投資がうまくいかなければ、 立ち去り、ほかのことを試せばいい。 沈みつつある船に居残ってはいけない。 とらわれてはいけない。 下落しつつある投資が改善するのを待つのなら、 あなたは、何度も失望し、 貧乏なままでいる運命にある。 簡単ではないが、 最も生産的な態度は、 今後の人生においてさまざまな 金銭上の不快な現実のように、 わずかな損失はあることだと思うことだ。 たとえば、税金や電気代のように。 あなたは 「ああ、わかった。 生きるということは、そういうこと。 これも経費だ」と考える。 それは、投機のコストの一部なのだ。 それができないのなら、 大きな利益を期待する権利はない。 ◆「船が沈み始めたら祈るな。飛び込め」 の公理を実行するときの3つの障害 1:後悔の恐怖 あなたが恐れているのは、 損切りした後に、下落していた株が高騰することだ。 それは痛みを伴う。 しかし、相場の急激な反転は頻繁には起こらない。 通常は、悪い状況は悪いままで、 少なくともしばらくはそのままだ。 投機対象の価格が急落する場合、 その原因は長期にわたる問題となりがちだ。 それらは徐々に発展し、徐々に解消される。 たいてい、正しい選択は、 価格が明らかに下落し始めたときに逃げ出すことだ。 2:投資の一部を断念しなければならない 損切りは一部の人には非常に苦痛なので、 彼らは売却することができない。 典型的な三流の投機家は本能的に、 価格が上がると期待しながら、 じっと待つものだ。 もし、あなたがその本能を克服できないなら、 あなたも三流の投機家のままだろうし、 あるいは破産するかもしれない。 損切りができないという心理は、 信用取引、つまり、 借入金でレバレッジをかけている場合には、 数倍悪い問題を招く。 3:自分が間違っていることを認めることの難しさ 人々のこの問題に対する反応はさまざまだ。 ある人は、ちょっとした不愉快なことだと考える。 また、ある人は、 あらゆるものの中で最大の障害であると思う。 価格が下落し始めたら、 売却すべきだということを、 あなたは理解している。 そうするためには、 自分が間違っていたことを認めなければならない。 一部の人にとって、 これは、途方もない苦痛だ。 典型的な負け犬は、 この痛みを回避しようとして、 結局、ぐるぐると悪い投資から抜け出せなくなる。 人間は普通、 自分のエゴを守ろうとする。 自分が間違っていたということを 認める必要性から逃れ、 自分が賢いことを信じ続けるのだ。 間違っていたことを認めるのを拒否することは、 最悪の反応だ。 ◆株価が、 自分が保有している間に付けた最高値から 10~15%下落したら、利益が出ているか、 損しているかにかかわらず売却すべきだ。 ほとんどのプロの投資家は、 同様のルールを採用している。 大切なのは、早い段階で損切りすることだ。 あなたは、 小さな損失を出すことによって、 自らを大きな損失から守ることができる。 たとえば、 あなたは、ある銘柄を1株100ドルで購入したとする。 この投資はすぐに損を出し始め、 株価は85ドルに下落した。 買ってから後に買値よりも高値がなかったとしたら、 あなたの保有株はすでにその水準から 15%下落している。 ルールに従うなら、売却すべきだ。 何らかの改善が見られるという 確かな証拠がない限り、 手放さなければいけない。 あなたが1株を100ドルで買い、 株価が120ドルに上昇した後に、 100ドルに下落したときも、 売却すべきだ。 ◆投機の半分は、 予め決めたゴールに達する前に、 うまくいかなくなると考えていい。 あなたが聞く助言の半分は、 的外れのものに違いない。 多くの投資家がほかのどんな失敗よりも 多大なコストをこうむるのは、 おそらく、沈没しつつある船から 飛び降りることができなかったときだろう。 間違いなく、 ほかのどんな形で財産を失う場合より 多くの涙を流すことになるはずだ。 船が沈み始めたら、飛び込め。 船が半分水に浸かるまで待ってはいけない。 期待したり、祈ったりしてはいけない。 目を覆ってはいけないし、 その場で恐れおののいてもいけない。 何が起こっているのか、 まわりを見渡すのだ。 状況を観察して、 起こりつつある問題が、 修正できるかどうか自問してみるのだ。 状況が改善しつつあることを示す、 信頼できて実体のある証拠を 見つけださなければならない。 もしも、それが存在しないなら、 手遅れになる前に行動を起こすのだ。 誰かがパニックになり始める前に、 穏やかに、そして慎重に船から飛び降りて、 自分自身を救うのである。