◆ギャンブラーの誤謬ごびゅう(※)に気をつけろ ギャンブラーは「今夜ついている」と言う。 宝くじを買った人は、 「今日はラッキーな日だ」と言う。 彼らは、自分自身を陶酔させてしまい、 日頃の慎重さを欠いたまま、 お金をリスクにさらす。 そして、悲惨な結果を見ることになる。 あなたが自分はついている、 あるいは今日は自分にとってラッキーな1日だという 感覚を持ったとしたら、 それはランダムな出来事が一時的にあなたにとって プラスに影響を与えているのだ。 あなたの内なる独白どくはく(ひとりごと)は、 次のようにあるべきだ。 「さて、私はよく研究したし、 やり方もわかっている。 この賭けは私に勝利をもたらすだろう。 でも、私は、勝敗を左右するランダムな出来事を 予測することも、 コントロールすることもできない。 間違う可能性が大きいことも知っている。 万が一、間違いが起こったときにすぐに対応 できるようにフットワークを軽くしておこう。」 これが公理の教訓である。 これであなたは、 より賢い投機家に進化できる。 ※(考え・知識などの)あやまり。 ◆相関と因果関係の妄想に気をつけろ 存在しない原因と結果の関係を知覚してしまうのは、 合理的な心をもつ人間の特徴である。 必要とあれば、 でっちあげてしまうのだ。 人間の心は秩序を求める。 カオスを見るのが不快で、 もし、現実から幻想に逃げてしまうことが 満足のいく唯一の解決方法ならば、 人はそうしてしまう。 二つあるいはそれ以上の出来事が 接近して起こるとき、 われわれは、それらの出来事が 関連しているほうが心地よいので、 複雑な偶然の関係を組み立てようとする。 それは、たいへん危険なことだが、 われわれは通常、手遅れになるまで気づかない。 実際に原因が作用していることを 本当に確かめない限りは、 すべての仮定を最大限疑ってかかるべきだ。 いくつかの出来事が同時に起こっていたり、 相前後して起こっているところに遭遇したとしても、 確固たる証拠がない限り、 それは偶然の結果であると考えるべきだ。 常にカオスを相手にしていることを理解して、 物事を処理すべきだということを 覚えておかなければならない。 公理が教えるように、 カオスは、 それが整然と見え始めない限り危険ではない。 第二の疑問、ジンクスに対してどう行動するかだが、 何もしないのが正解だ。 ◆チャーティストの幻想に気をつけろ グラフ用紙に線を引くことは有効であるが、 危険でもある。 数字の変化を、 より鮮明に見たいというだけなら、 チャートはとても便利だ。 けれども、 それが実際よりも確実で、 大げさに見えるときには非常に危険である。 チャーティストの幻想は多くの場合、 歴史家の罠をグラフで拡張したものである。 これはウォール街のチャーティストによって 最もよく示される。 彼らは、誰も理解できないような独自の専門用語、 どれも似たり寄ったりの雑誌やニューズレターなど、 秩序の幻想を独自に力強く視覚化した道具を愛用する。 彼らは、株式、通貨、貴金属など、 市場価格が頻繁に公開されるもの すべての将来の価格は、 過去の値動きをチャートに描くことによって 突き止めることができると信じている。 彼らは、すべての説明の中で最もシンプルな説明、 つまり、株式相場にはパターンはない ということを信じることができない。 パターンはほとんど繰り返さないし、 少なくとも予測可能な範囲において 繰り返すことはない。 株価のチャートを引くことは、 海の波の泡のチャートを描くようなものだ。 各パターンは一度現れれば、終わりだ。 まったくの偶然によってのみ、 それを再び見ることがある。 たとえ再び現れたとしても、 それは何も予見しないで、 何の重要性もない。 チャーティストの幻想のもう一つの要素は、 マス目の入った用紙に描かれた、 一本の太く真っ直ぐな線が、 おもしろくもなく、 本質的に無秩序な一連の数字を、 重要なトレンドのように見せることができる 奇妙なやり方から生まれる。 世界の詐欺師や偽の芸術家は、 何世紀にもわたり、 こうしたチャートの力を認識してきた。 投資信託のセールスマンは、 いつもそれを利用する。 チャートの魔術に欺あざむかれてはいけない。 チャートの線は、常に、 たとえカオスを描いていたとしても、 心地よく秩序があるように見える。 しかし、それに賭けてはならない。 ◆歴史家の罠に気をつけろ 歴史家の罠は、 とくに整然と見える幻想である。 それは昔から存在し、 歴史は繰り返すというまったく 根拠のない確信を基本にしている。 このような確信を持つ人々は、 おそらく、それは地球上にいる100人のうち99人までが そうだろうが、 歴史の秩序ある繰り返しが、 特定の状況における正確な予測を 可能にするということを命題として信じている。 過去のどこかにおいて、 Aという出来事のあとに Bという出来事が続いたとしよう。 数年後、Aという出来事が再び起きたとする。 誰もが「ああ、Bという出来事がもうすぐ起こる!」 と言うに違いない。 この罠にはまってはいけない。 ときには歴史が繰り返されることもあるが、 めったに繰り返されないし、 いずれの場合も、 あなたがそれに慎重にお金を賭けることができるほど 十分に信頼がおけるようには起こらない。 お金が関与すると、 歴史家の罠は危険である。 あなたを破滅に追いやる可能性があるからだ。 ◆もし、知的で楽しい午後を過ごしたいなら、 秩序の幻想の実体について考えたいなら、 近所の図書館に行って、 金持ちになるハウツー本を手にとってみるといい。 小さな図書館でさえ、 その類の本の棚が一つか二つはあるはずだ。 おそらく、 あなたが個人的に興味をそそられるような分野を含め、 多種多様な投資関連書籍が見つかるだろう。 不動産で金持ちになる方法。 珍しいコインで大儲けする方法。 切手収集ビジネス。 株式、債券、金(ゴールド)、銀・・・ リストは際限なく続くかもしれない。 これらの本の特徴に気づいてほしい。 ほとんどは、 本に記述されてた方法によって 金持ちになったと主張する人々によって書かれている。 これらの著者は真実を語っているだろうか? もちろん。 彼らが解釈した通りの真実を語っているに違いない。 必要以上に皮肉る必要はあるまい。 彼らは、 ほとんどありのままを伝えようとしているのだろう。 書いてある通りの方法で大金を積み上げたのだ。 しかし、 われわれは著者の秩序の幻想のカモになってはいけない。 著者は、自分が勝利の公式を見つけたので 金持ちになったと信じている。 しかし、事実はわれわれのほうがよく知っている。 単に幸運だったから金持ちになったのだ。 どんな中途半端な金儲けの方法でも、 あなたに運があればうまくいくだろう。 けれども、あなたが不運なときは、 どんな方法もうまくいかない。 著者のなかには、 幸運の役割を認めている人もいる。 しかしチューリッヒの公理は、 幸運の役割を認めるに留まらない。 運こそが、 投機の成功や失敗において最も強力な要因である という基本的前提に立っている。 しかし、著者のほとんどは、 運を無視したり、 存在しないふりをしたり、 あるいは、 その部分の話をできるだけ省略しようとする。 彼らは、痛みを和らげる薬、 つまり、秩序あるアプローチ、 管理できるという感覚、 を売り物にしている。 「さあ、私の手をとって、 恐がることはありません。 私はどうすればいいのか知っています。 こうやれば成功します。 このシンプルな方法で、 順番通りにやっていけば、 きっとうまくいくのです。」 昨年うまくいった公式でも、 お金をめぐる環境が変化していれば、 今年もうまくいくとは限らない。 また、あなたの隣人にとってはうまくいった公式でも、 公式を成り立たせる変数は、 ランダムな出来事の組み合わせによって異なるので、 あなたにとってうまくいくとは限らない。 これは、公理が説く、 偉大で解き放たれた真実である。 幸運の役割は、 著者が時として間違ったことを記述するという 事実とともに、 二人の賢人が正反対の助言を与えることが よくあるという事実によっても確認できる。 ◆フォーブス誌は、 かつて、弱気相場のときの投資信託の純資産価値の パフォーマンスをグラフにして、 10のうち9のファンドが、株式市場全体と同様か、 あるいはそれよりも大きく下落したことを突き止めた。 しかし、ファンドマネジャーは、 魔法の公式を忍耐強く探し続けている。 そうするために給与をもらっているからだが、 そればかりではなく、 彼らはどこかに公式が存在していて、 自分たちとコンピュータは、 それを見つけ出すことができるほど賢いと、 純粋に信じているからである。 あなたや私は、 もちろん、彼らはその公式を見つけられないのは、 そんなものが存在しないからだと知っている。 もちろん、あなたは幸運で、 正しいときに正しいファンドを選択できれば、 ファンドに投資することによって お金を儲けることは可能である。 つまるところ、 ファンドに投資することは、 個別銘柄や芸術作品、あるいは、 あなたが選択したゲームと同じくらい リスクがあるということだ。 ◆金融の問題を含め、 人間に関することで秩序あるデザインを 見出したと思った瞬間に、 あなたは危険にさらされる。 賢人は、カオスの中にパターンを見出したと思い、 儲かる公式と戦略を開発することが 可能なはずだと確信する。 さらに、 そのような公式と戦略を開発したのだと信じる。 誰もが公式を探しているが、 残念ながら、 そんなものは存在しない。 雲がかった空の中や、 大海の泡の中に見い出せるように、 時折、現れるようだ。 しかし、それは儚はかない。 計画の健全な基礎にはならない。 魅惑的で、常に、賢人を惑わす。 しかし、本当に賢い投機家は、 それが何であるかを認識して無視する。 この公理は、最も重要な公理かもしれない。 ウォール街の投資信託にも、 同じような話がある。 カオスの中でパターンを探すことがいかに無駄で、 結果的に、 とくに三流の投機家にとってどんなに危険かを、 明快に示している。 ◆カオス(※)は、 それが整然と見え始めない限り危険ではない。 ※「混沌」を意味する英語である。 無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、 一貫性が見出せない、 ごちゃごちゃした状況・様相を形容する 表現として用いられる。